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Posted by TI-DA at

2012年09月01日

沖縄防衛局長交代へ

 
(琉球新報8/31、記事原文はこちら



 昨年末の深夜、「辺野古アセス評価書」をこっそり県庁に持ち込もうとした現場最高責任者の真部朗・沖縄防衛局長(2度目のお勤め、先の宜野湾市長選挙での選挙介入講話疑惑に対しては防衛省内部では訓戒処分)は、今月中にも後任の武田博史氏に交代するようだ。武田氏はこれまで沖縄政策にかかわったことがない。

 
(沖縄タイムス8/30、記事原文はこちら



【関連する日記アーカイブ】

2012.02.15 伊波が負けて 禊(みそぎ)は済んだとでも・・・

2011.12.28 防衛局長 陣頭指揮 評価書、午前4時に守衛室に運び込まれる

2011.02.11 沖縄防衛局長のポストは出世コース?


9/3追記

琉球新報9/3社説 防衛局長不起訴 組織体質は依然問われる
下

防衛局長不起訴 組織体質は依然問われる

 民主主義社会の根幹にかかわる重大な問題に対し、真相解明を尽くさずに幕引きが図られるとしたら、将来に禍根を残す。そんな思いを抱かざるを得ない判断だ。

 ことし2月に行われた宜野湾市長選の前に、沖縄防衛局が職員やその親族らの有権者リストを作成し、真部朗局長が職員に講話をしていた問題。沖縄弁護士会の弁護士23人が真部局長を自衛隊法違反の疑いで那覇地検に告発していたが、同地検は8月30日、同局長の講話は「政治的行為に当たらない」として不起訴処分(嫌疑不十分)とした。

 「特定の立候補予定者への投票を依頼したということは認められない」というのがその理由だ。しかし、「政治的行為」をあまりにも狭義に解釈した判断であり、社会常識的には腑(ふ)に落ちない、不信感を拭い切れない対応だ。

 この問題では防衛省自身が調査して報告書を公表したが、本来なら第三者機関による解明が必要な事案だ。真部局長の処分も訓戒止まりという甘さ。裁判所の判断まで回避されるとなるとあいまいさだけが残り、同様の事件が繰り返されないかとの危惧も募る。

 今回、不起訴処分となったのは自衛隊法違反容疑だが、この問題は個人情報保護法違反の疑いも極めて濃厚だ。防衛省自身も調査報告書公表の段階で、有権者リストの作成に際して職員の親族まで対象にしたことなどは同法に抵触するとの認識を示している。

 報告書では「個人情報の取り扱いに関する職員の意識が低く、手続きが適切でない。真部局長は個人情報管理にかかる事務を総括管理する立場にありながら管理が不十分」としたほどである。

 問題の本質はそこにある。投票の秘密や個人情報保護といった、人権にかかわる問題への意識・感覚の欠如。「犯す前に犯すと言うか」発言にも通底するのではないか。そしてそのことが組織体質として問われているということを、防衛省は忘れてはならない。

 身内に甘い調査、処分などを見ても、防衛省の自浄能力には限界がある。それだけに、裁判を通して体質改善を促す必要があったが、不起訴処分はその好機も逸したことになる。

 弁護士らは検察審査会への申し立てを検討する。問題をうやむやなまま封印するのは県民のためにも、この国のためにもならない。報道機関としても肝に銘じたい。
(琉球新報9/3社説、記事原文はこちら



  


Posted by ミチさん at 22:39Comments(0)防衛局長沖縄差別発言

2012年07月12日

琉球新報「防衛局長暴言スクープ」がJCJ賞

 日本ジャーナリスト会議(JCJ)は11日、優れた報道を顕彰する2012年度の第55回JCJ賞に、琉球新報「米軍普天間飛行返還・移設問題取材班」の「沖縄防衛局長の『オフレコ』暴言スクープをはじめとする米軍普天間飛行場移設問題をめぐる一連の報道」など6作品を選んだと発表した。同賞には約190作品の応募があった。
 大賞には、東京新聞特別報道部の「福島原発事故後に国が設定した許容被曝量を疑問視し、危険を追及した『こちら特報部』の一連の報道」が選ばれた。


 
(琉球新報7/12、記事原文はこちら



 
(琉球新報7/12)



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タグ :JCJ賞田中聡


Posted by ミチさん at 23:42Comments(0)防衛局長沖縄差別発言

2011年12月14日

防衛局長更迭 その⑨オフレコ取材考

琉球新報が書かなかったら誰が書いたか?

誰も書かなかったら いまごろは・・・


何人かの識者がこのことについて書いていたので紹介する(太字等はブログ管理者の編集による)

まずこの人、ご存知 知念ウシさん
権力監視の役割果たす
防衛局長発言 決断に感謝
知念ウシ・作家

<略>
 11月29日の田中聡前沖縄防衛局長発言のスクープ。「オフレコ破り」には圧力、不利益などかかることもあろうが、琉球新報が読者と県民に対する責任と信頼から、権力の監視機関として揺るがない決断をしたことは有り難い。

 田中前局長の用いた比喩からわかるのは、「県内移設が正義にもとる行為だと自ら白状した」(11月30日社説)ことで、そう認識しつつやろうとしていることだ。発言翌日に、県庁を訪れた中江公人防衛事務次官が謝罪の一方で、評価書提出、県内移設は従来の方針に沿って進めることを明言した。まさに田中前局長は自らの発言通り、そうする前に言うべきでないのに、そう言ってしまった。だから更迭されたのだ。なぜなら、日本政府がそれをするつもりは変わらない。彼の発言は「適切」だったのだ。
 
 あの発言が酒席での冗談だと済まされなかったのは、これまでの性暴力の被害者たちが苦しみの中から声を上げてきた成果の一つである。しかし、特定の事件が思い起こされるのはつらく、他のやり方はないのだろうかと思う。

 辺野古移設を不可能にされて、15年間も守れない約束で米国に頭を下げ続け、そして沖縄は思い通りにできない。そういう無力な「権力者」が「今に見ていろ」と思い描くファンタジーが、あの比喩だったのか。沖縄のマスコミと世論は鳩山由紀夫元首相、ケビン・メア元国務省日本部長、田中前防衛局長をクビにしてきた。日本を侮辱する米政治家や外交官などを日本(「本土」)のマスコミと世論がクビにしたことがあるのか。
<略>  (琉球新報12/10、12月の紙面批評より)


根底に県民見下ろす発想
水島朝穂・早稲田大学法学学術院教授
 
 なぜ非公式懇談会の場で話したことが記事になるのか。最初にこれを報じた琉球新報はオフレコ取材における信義を欠くものだ。酒席の戯言を針小棒大に伝える沖縄メディアは信用できない。そういう空気が本土にないとはいえない。だが相手は単なる私人ではない。基地移設先の環境影響評価書策定の実務責任者であり、その発言の公共性は高い。

 新聞協会は「国民の知る権利を制約・制限する結果を招く安易なオフレコ取材は慎むべきだ」としている。しかも、発言には、辺野古移設にかかわる県民・国民が知るべき重大な内容が含まれている。取材手法に問題は残るが、それは、国民の知る権利に奉仕する報道機関の使命とのかかわりで判断されるべきだろう。

 言葉というのは、誰が、誰に対して、どのようなタイミングで発せられるかによって変わってくる。私はこの局長発言は10月における一連の閣僚・与党幹部による「沖縄説得活動」の一環、その最も筋の悪いものにすぎないと考えている。

 玄葉光一郎外相は訪沖前に「踏まれても蹴られても」という言葉を使い、沖縄を怒らせた。また北沢俊美前防衛相は、県知事に面と向かって「どんな困難があってもやり抜く」と言った。

 本土ではほとんど注目されなかったが、沖縄でこの発言は「あなたがどんなに反対しようとも我々はやりますよ」という「恫喝」と受け取られた(10月15日付沖縄タイムス社説)。

 局長発言はその延長線上にある。

 11月29日夜に防衛省が公表した釈明には、「犯す」とは言っておらず、「やる」と言ったのだとある。「やる」は、状況によっては「殺る」とも聞こえる物騒な言葉である。環境影響評価書提出がなぜ「やる」なのか。辺野古の自然を破壊し、騒音と危険の塊「オスプレイ」の基地化により住民に新たな苦痛を強いるからこそ、「やる」という言葉を使ったのではないか。

 沖縄と県民を、女性あるいは弱者として見下す発想がなければ、こんな言葉は使えない。事実この局長は問題の発言に続いて、「400年前の薩摩藩の侵攻のときは、琉球に軍がいなかったから攻められた。『基地のない平和な島』はあり得ない。沖縄が弱いからだ」と述べている。沖縄の誇るべきアジアとの平和的交流と「命こそ宝」の歴史と伝統への冒瀆ではないか。

 普通の民主主義国家であれば、その地域全体が反対しているところに政府が基地を「移設」することは考えられない。政府間合意が成立しているといっても、その合意の見直しを求めて交渉するのが筋である。

 米国に対しては何も言わず、沖縄にだけ賛成するよう説得を繰り返す。一体、どこの国の政府なのだろう。
日本国外相なら、自国民たる沖縄県民の意を受けて、米国に「踏まれても蹴られても」交渉を続けるべきではないか。(沖縄タイムス12/6、連鎖する差別「田中発言の裏側 -5-」)


県内移設「犯す」と認識
酒席で露呈した国の本音
金平茂紀・TBS「報道特集」キャスター

<略>
沖縄のトップ 
 田中聡前沖縄防衛局長(11月29日の更迭)の「犯す前に・・・」発言は、酒の入ったメディアとの非公式の懇談の場であった。酒席の発言だからと軽く見る向きもあるが、実は、今回の発言は、だからこそ、重いのだ。「建前」ではない「本音」だからだ。沖縄防衛局長は、心の深層で沖縄を「犯す」対象としてみていた。さらに、普天間基地の辺野古移設工事着工を「犯す」行為として認識していた。辺野古移設に関する環境アセスメントの提出時期の質問に対する答のなかで使われた言葉だったからだ

 こういう元も子もない「本音」に接すると、怒りを通り越して悲しみを覚えてしまう。こういう認識の持ち主が、沖縄の米軍基地および自衛隊の駐留と沖縄住民の関係を取り持つ業務のトップの一人だったのだ。

 前記の非公式懇談の場には在沖縄メディアから9社が参加していたそうだ。問題の発言を直接聞いた記者もいれば、聞き流した記者もいる。トイレで中座した記者もいれば、何の問題意識も持たなかった記者もいたようだ。そのことについて、これ以上はあえて記さない。

 けれども、この沖縄防衛局長発言の持つ重大性を看過できなかった記者が少なくともその場に一人はいた。「犯す」という特異な言葉遣いに対して、彼は心の中で衝撃を受けて、そのありのままの言葉をその場で自分の携帯電話にメモとして残した。彼は記事にするべきだと考え、それを本社に伝え、編集局は、報じることに大きな公益性がある=国民の知る権利に資する、と判断した。準備されていた1面トップの記事が直ちにこの記事に差し替えられた。同じ報道の仕事をしている一人として、この判断に素直に敬意を表する。

 ひとつ重要なことは、記事化する過程で沖縄防衛局に対し、オフレコのルールに従わない理由を通告し、さらに田中局長の正式なコメントをきちんと求めていたことである。その際、田中局長ら防衛局側の人間は、2次会の酒席にあり、新聞社側の電話での通告に対して、「(記事に書いたら)出入り禁止にしますよ」と圧力をかけていた。

 頭をよーく冷やして考えてみよう。僕自身はオフレコ懇談という慣習は甘受せざるを得ないと思う人間の一人だ。それは、より深い、継続的な取材につなげていくことにも資する場合があるからだ。だが、その一方で、僕らマスメディアに勤めている人間たちは、「出入り禁止」という当局側の非公式なペナルティー=制裁を、いつのまにかあたかも正当な権限行為であるかのような慣習のなかに馴らされてきた面がないか。それどころか、この「村八分」のようなルール強化に積極的に加担してこなかったか。

 僕自身の長い記者歴を考えても、いわゆるオフレコ破りをして報道した記者、メディア企業に対して、当局=制裁する側の立ち位置にいつの間にか同化していたことがあったと思う。そう、まるであの「原子力ムラ」のなかで、原発推進の御旗のもと、異論・反論、少数意見を、よってたかって排除してきたように。

構造的差別意識
 周知のように、この報道がきっかけになって田中沖縄防衛局長はただちに更迭された。逃れようのない内容の発言だったからだ。だが今回の出来事は個人の失言・暴言というレベルで片付くことではない。為政者の側の沖縄に対する構造的な差別意識が露わになったことが本質的な問題なのだ。
<略>「他者の苦痛へのまなざし」(スーザン・ソンタグ)が致命的に欠如しているのである。沖縄およびそこに暮らす人々に対する構造的な支配・差別意識。

 歴史をかえりみれば、僕らはそれらの事実の膨大な蓄積を目にする。そのことをこそぼくらはこの機会に向き合わなければならない防衛大臣の辞任を求める、などという単なる政局話で終わるテーマではない。

積み重ねた歴史
 1903年に大阪で開催された内国勧業博覧会会場において、沖縄人がアイヌや台湾先住民らとともに、生きた本人が会場に「展示」されていた。太平洋戦争のさなか、沖縄方言を話す住民はスパイとみなすと日本軍は宣告していた。離島の久米島には陸軍中野学校で訓練された「残置諜報員」が各学校に配置され住民を監視していた。沖縄は本土防衛のための捨て石とされた。72年まで沖縄ではアメリカが施政権を実質的に行使し、米軍が核兵器を配備していた。もちろん日本政府はそれを認めていた。返還後も米軍の駐留を許している。基地受け入れと引き換えに、まるで原発マネーと同じように、沖縄に交付金が注ぎ込まれた。それをケビン・メア元国務省日本部長は「沖縄はゆすりの名人」と評した。

 元沖縄県知事で歴史学者の大田昌秀さんに、今回の出来事の感想を聞いた。「結局、沖縄の人々は人間扱いされてこなかったのです。日本政府の目的を達成するための政治的な質草としてしかみられていないことの証拠です」。ああ、ワジワジする(ので、いつもより長い原稿になってしまいました)(沖縄タイムス12/7、金平茂紀のワジワジ通信 -11-)

沖縄防衛局長の非公式懇談での発言を報じた琉球新報の普久原均・編集局次長へのインタビュー(聞き手は金平茂紀)の全編が動画でUPされています。上記の金平茂紀談と併せて見ていただくとよく理解できます。
この件に関する同紙のテレビインタビューは、今のところ日本ではこれしかないので、参考になると思います。発言から滲み出ているニュアンスを汲み取ってみてはいかがでしょうか。いろいろなものが見えてくるはずです。インタビューは12月2日、午後7時から、那覇市の琉球新報本社で行われました。
http://www.tbs.co.jp/houtoku/plus/20111202_1_1.html


報道するのが原則
秘匿は読者への裏切り
山田健太・専修大学准教授・言論法

 先月末の田中聡前沖縄防衛局長発言のあと、分かったことが二つある。一つは、政府も東京のメディアも、言葉の使い方は別として、その発言内容はたいしたことではないと考えている節があること。二つは、その関係でもあるが、東京メディアしか居合わせなかった場であれば、報道されていなかったかもしれない、ということだ

 ある東京紙の記者は、この種の発言は酒席ではまま行われる表現にすぎないのであって問題にするほどではないと言う。あるいはまた、新聞協会の見解を引いて、政治家との信義を破ることは、ジャーナリストとしての倫理違反であると社説で琉球新報の対応を批判する。要するに、オフレコを前提とした酒宴の発言を、そのまま記事化しては当事者との信義はもとより、取材先一般との信頼関係をも壊すことになり、報道界全体に悪い影響を与えかねないのであって、報道すべきではなかったという考え方である。

 この主張にはオフレコ取材の根底に流れる重大な課題が含まれており、先月当欄でも、ちょうど政治家取材の課題について触れているが、いま一度、根本的にオフレコなるものを考え直す必要がある。

取材とは何か
 今回の懇談は、防衛局長の呼びかけに応じ市内居酒屋において会費制で行われたもので、この局長との懇談は初めての機会であったという。当日出席者は、局長と広報室長のほか、地元と本土の新聞・放送・通信9社9人とされている

 論点の一つは、「取材」とは何かである。ジャーナリストたるもの24時間見るもの聞くものすべてが取材の対象であろうが、ここでは取材の自由の保護対象となる行為であって、職業倫理が問われる場合をさす。その判断基準としては、場所、態様、目的があるだろう。相手が政治家・役人で、議会や庁舎内で行われた場合は、それが公式な記者会見であろうと、大臣室での非公式な懇談や廊下の立ち話であろうと、すべて「取材」と認定して異論はなかろう。

 庁舎外の場合には、その接触機会が特恵的なものか、接触理由が報道目的かで分かれると考えられる。記者の立場を利用して接触したり、社が経費を負担している場合などが、一般に取材の範疇(はんちゅう)であって、送別会など最初から「懇親」のみを目的で集まった場合などは、取材カテゴリーに入れるのは相応(ふさわ)しくない。これらの場合には、その場での発言を直接引用して報道することは〈報道倫理上〉許されないのであって、あらためて「取材」によって言質をとるか、情報源を秘匿したうえでその内容を記事のなかに溶かし込ませる手法をとらざるを得まい。取材である限りは法的な権利・自由や職業上の責任・義務が発生するからであって、だからこそ取材とは、「記者であるゆえに特恵的な機会が与えられている場合」に限定する必要があると考えられる。

 この点から今回の居酒屋懇談を考えると、広報室長まで出席した準公的な会合であって、記者であるゆえの接触機会であることは明らかだ。経費を社が負担していてもおかしくない事例で、税法上も取材費として認められると想定される。その点からも「取材」であることが外形的に認定されよう。もちろん、記者がまったくプライベートに政治家や役人と食事をすることはありうるだろうし、そうした可能性や機会を否定しないが、いわば赤提灯(ちょうちん)での世間話や愚痴話のレベルとは決定的に異なるのであって、二人の間の私的会話を一方的に暴露したのとは異なるとの認識が必要である。

 そしてここで確認すべきは、「取材」である限りは、報道することが原則でなくてはならないということだ。それは、記者が読者・市民の知る権利の代行者として、法・社会的に特別な地位を与えられ、それがために取材が可能になっているという制度上の特性から導かれる。したがって、報道機関がいま説明すべきは、報道する場合ではなく、しない場合の「正当な弁明」でなくてはならない。

報道しない事例
 そこで第2は、どういう場合に報道しないか、すなわち「オフレコ」が成立するかである。いまや一般用語化する言葉だが、業界用語の一つで「オフ・ザ・レコード」の略、記録=報道しないの意味で使用される。いわば「ここだけの話」で、通常はメモをとったりテープを回さないのが「礼儀」とされている。

 もちろん記者の側は、聞き流すのではなく、重要だと思ったことはすぐにトイレに駆け込んで、メモに起こすように教育されているという。したがって、報道しないの意味は、すぐに言ったことをそのままの形で報道しないの意味であって、実際、オフレコ内容はさまざまな形で記事になっている。その最たるものは、官房長官や党幹事長の発言で、政府首脳や党幹部といった名称でむしろ報道されることが前提で、単に情報源が明示されないという意味での不報である。あるいは自分が書く記事の正確性を高めたり、価値の大きさ(たとえば発言内容の実現可能性)を判断するための材料として活用されることも一般的で、オフレコ懇談が背景説明(バックグラウンド・ブリーフィング)と呼ばれるのもこの理由からである。

 さらに完全オフレコ(完オフ)と称して、取材源を明示するしないにかかわらず発言内容を直接引用して報じてはいけないという「縛り」をかける場合もある。いわば、報道しないことを前提に内部事情を話しましょう、といったケースである。あるいは、懇親目的なので、お互い仕事のことは忘れましょう、という場合もあるとされる。しかし、立場を忘れて本音ベースで話し合いましょう、ということが「取材」である限り本当にあるか、という問題が残る。

 今回はその完オフの要請は開始時にあっただけで、遅れて参加した者もいたことから、同席者全員に徹底されていなかったようだ。取材した内容を最初からいっさい報道しないと約束する行為自体が、取材に特別な地位を与えている現在の社会制度上許されないのであって、そうした約束は読者に対する裏切り行為といえる。また、取材を受ける側が公人である場合は、法的に取材応諾義務があるとまではいえないまでも、情報公開法の精神からしても国民に対する説明責任があるのであって、職務上知りえた情報を意図的に秘匿する(公表しないように要請する)行為は許されないと考えるべきである。

 それでもなお、報道の仕方にもう少し工夫が必要ではなかったかという声がある。この点については、引き続き次回に確認をしたい。(琉球新報12/10、オフレコ取材考 上)


問われる報道の使命
不利益超え 知る権利重視
山田健太・専修大学准教授・言論法

 取材である限り報道することが原則であって、オフレコだからといって発言内容をその場限りの話とすることは、一般読者・市民に代わって国政情報に接近可能な立場を与えられているジャーナリストとしては許されないことを確認した(10日付当欄)。

報道の仕方
 そのうえで、問題は三つめの報道の仕方になる。今回も「オフレコ破り」という言い方がされるが、これも報道の仕方が悪いのであって、東京紙からは、もう少しぼかせばいいのにとか、間をおいて報道すればよかった、という声が聞こえるのはこのあたりと関係する。

 オフレコはその場にいるすべての関係者の合意を持って初めて成立する例外措置であるから、一人でもNOといえば、その瞬間に約束は無効になる類いのものである。そしてその原則に戻る基準は法ではなく倫理の問題であって、ジャーナリストとしての「覚悟」と「責任」が問われることになる。覚悟とは、取材対象者へ迷惑がかかること、取材対象者あるいは取材先の組織との将来にわたる信頼関係を反故にすること、さらには報道界全体と取材先の関係にヒビが入ることや、さらに広く報道界の取材一般における取材対象者との信頼関係構築に悪影響を与えることなど、報道によって引き起こされるであろう可能性の認識と、場合によってはそれに伴うマイナス影響を引き受ける社会的責務である。

 そして同時に、報ずることによって読者が獲得する価値が、記者・新聞社・報道界が失うマイナスの総和を上回るか、そうでないまでもその決定過程を事後的に明らかにし、読者・市民の理解を求めることによる正当性の担保が必要である。実際今回の場合は、防衛局長自身は更迭され、相手方に多大な不利益を負わせ、今後、この種の懇談は開催されなくなる可能性も含め、琉球新報は取材に応じてもらえない危険性を負うことになった。

 しかしながら、発言内容はそれを聞いた記者において「公憤」を呼び起こし、社の組織検討を経て報道価値が上回ると判断したことが認められる。ここでいう「公憤」は、いわば報道内容の公共性・公益性であって、表現の自由を実際に裏打ちするものでもある。そして、不利益を上回る価値があると報ずる者が主体的に判断をした場合、それはすべてに優先する結論であって、それを押し止める力は少なくとも取材される側には与えられていない。

変わる協会指針
 新聞協会が1996年2月14日に出した「オフレコ問題に関する日本新聞協会編集委員会の見解」では、「オフレコは、取材源を相手の承諾なしに明らかにしない『取材源の秘匿』、取材上知り得た秘密を保持する『記者の証言拒絶権』と同次元のものであり、その約束には破られてはならない道義的責任がある」と記されている(『取材と報道2002』日本新聞協会、02年)。ただし見解のきっかけとその後の推移に多少の注意が必要である。

 議論の端緒はオフレコの内容が雑誌に流れたことであって、そうした「ズル」が政治家との信頼関係を失わしめるとしている。もう一つは、この見解が記者クラブにかかわる一連の取り決めの一つであるという点だ。とりわけ09年以降の記者会見開放化の動きの中で、一部の常駐記者だけを対象にするような懇談形式の非公式な集まりはよくないと指弾されるようになった。こうした流れを受けて09年版の『取材と報道 改訂4版』では、記者クラブの項目が大幅に変更され、このオフレコ見解も姿を消している(廃止されたわけではなく、協会ウェブサイトには掲載されている)。それからすると、この見解をもってオフレコ順守を最上位の職業倫理というには違和感が残る。

 自らが定めた自主自律のルールを守ることを前提に、憲法上で表現の自由の保障が与えられ、さまざまな取材特権が与えられている。しかし一方で、「破る」という語感とは反対に、報道すること自体は原則に戻る行為であるということを忘れてはならない。読者の知る権利に応えるために、取材対象との信義則を超えるだけの大義があり、さらに将来にわたる不利益を引き受ける覚悟をもつことが前提ではあるが、報道側には常に報道する権利が留保されており、取材される側は公表の可能性があることを甘受せざるをえないのである。

身内への裏切りか
 そこで最後に残るのは、こうした報道の仕方が取材対象との信頼関係を崩し、結果として将来の報道界一般の取材にとって悪影響を及ぼすという考え方である。いわば、取材先ではなく、身内(ジャーナリスト仲間)に対する裏切り行為ではないか、という点である。これは微妙な問題で、オフレコ「破り」は常にその問題が付随する。確かに、報道界全体の取材がやりにくくなり、真実への接近に困難が生じ、結果として表現の自由の枠が狭まってしまったのでは元も子もない。

 これらの点に対し、琉球新報は報道前に本人に通告し、不意打ちを食らわすということをせず弁明の機会を与えるという「マナー」を発揮し、その後の紙面でも経緯を読者に説明し、透明化の努力を見せている。あえていえば、会合の場で十分な反論をすることなく紙面化することが不意打ちに当たらないか、オフレコと認識している可能性があった当事者である仲間(他社)への事前の断りがなかったのはマナー違反ではないかとの指摘があるようだ。これらについては、もちろんした方がベターであったといえるだろう。

 ただし、今回事例を鑑みると、記者は質問を離れた席から大きな声で局長に向かって投げかけたとされている。したがって、そのやりとりを他社の記者は十分知りうる環境にあったと推認できたこと、単なるワンフレーズではなく、全体としての文脈からその悪質性が明らかであることなどから、同席した記者が問題意識を持てば当然に同じ結論に達しておかしくなかったと想定できよう。

 むしろ報道しなかったのはオフレコ約束があったからではなく、記者の問題意識や社の方針の違いというべきではないかと思われる。それをオフレコの問題にすることは、むしろ発言者を擁護することに作用することになり、ジャーナリストの使命からすると疑問であるといわざるをえない。実際政府は、報道の事前通告に対し、報道すれば事後の取材を拒否すると、“脅し”をかけてきている事実があるからである。

 結論として、今回の琉球新報の報道は新聞界内では否定的な意見が少なくないが、取材・報道の基本を忠実に実行したものであって問題がないばかりか、自身に降りかかるであろう将来的な不利益を超えて市民の知る権利に応えたものとして、評価されるべきものと考える。(琉球新報12/13、オフレコ取材考 下)


  


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2011年12月13日

防衛局長更迭 その⑧目取真俊

 
(太字等はブログ管理者の編集による)
 
 
(田中聡前沖縄防衛局長)に与えられた任務
高江―先島の基地強化 日米軍事同盟批判も必要
目取真俊・作家

 普天間基地移設に向けた環境影響評価の提出時期について、レイプを比喩に使う。
・1995年の少女暴行事件について、兵士に買春をすすめた米軍司令官の発言を肯定する。
・薩摩の琉球侵略について、沖縄の非武装・平和指向を否定する。
・審議官級の話として、来年夏までに移設できなければ、普天間基地は固定化すると脅す。

 更迭された田中聡前沖縄防衛局長の一連の暴言に共通しているのは、沖縄に対する暴力的な支配を正当化する論理であり、感性である。酒の席で口にされた本音に示される論理・感性は、たんに一官僚の個性によるものではなく、日本政府の沖縄に対する基本姿勢から生み出されたものだ。それは、沖縄が言うことを聞かなければ、最後は力ずくで屈服させ、強権的に支配する、というものである。

 ここでいう力とは、警察や自衛隊を使った直接的な暴力だけを指すのではない。時にそれは、立法・行政・司法を通した権力の行使であったり、振興策や金であったり、メディアや文化を利用した力であったりする。沖縄がどれほど訴えても無視し、無力感に陥らせるというのも、そのような力の行使の一つである。

 田中前局長の暴言には、そのような力を行使する側に立つ者として、沖縄を見下し、意のままにしようとする傲慢さが、むき出しになっている。まさに醜さの極みだ。

国家意思を体現
 11月29日付毎日新聞電子版によれば、田中前局長は防衛省の官僚として同期の出世頭であり、8月に沖縄防衛局長に抜擢したのは、北沢俊美前防衛大臣だったという。

 田中前局長は1996年7月から約2年間、那覇防衛施設局(当時)の施設企画課長として沖縄に赴任している。2年の間には、名護市で海上ヘリポート受け入れをめぐって市民投票が行われている。当時、那覇防衛施設局は職員をくり出して、受け入れ賛成の集票活動を行っていた。市民投票への露骨な介入に批判が起こったが、30代半ばの田中課長も精力的に活動したことだろう。

 そういう経験を持ち、沖縄や名護のことを熟知している田中前局長に与えられた任務は、環境影響評価書を沖縄県に提出し、埋め立て許可を申請することで、停滞する普天間基地の現状を打破し、着工に向けて駒を進めることだった。県民の圧倒的多数が反対する中、高いハードルを越える切り札として、沖縄に送り込まれたわけだ。

 沖縄がどれだけ反対しようとあくまで「日米合意」を推し進める。そういう国家意思を体現する人物だからこそ、傲慢な暴言を吐いたのだろう。県民の怒りは当然のことだが、ここで私たちが見落としてならないのは、田中前局長に与えられた任務が、辺野古新基地建設や、高江ヘリパッド建設を強行するだけでなく、先島地域への自衛隊配備もその一つであることだ。

本土防衛のため
 今、沖縄で進められているのは、北は高江(北部訓練場)から南は与那国島まで、琉球列島全体を中国に対抗する軍事的盾にするための基地強化である。政府が口にする沖縄の「負担軽減」や基地の「整理縮小」はまやかしに過ぎない。返還予定の米軍基地は条件付きで、老朽化した施設が最新鋭の機能を持つものへと造りかえられる。

 さらに尖閣諸島問題を利用して排外的ナショナリズムを煽り、与那国島を皮切りに先島地域への自衛隊の配備・強化が進められようとしている。米軍と自衛隊が一体化し、役割を分担しながら、琉球列島を中国に対峙する前線基地として利用する。それが政府・防衛省のやろうとしていることであり、八重山地区の教科書採択問題もその動きの中で起こっている。

 そのことを見るなら、田中前局長の暴言に露呈している政府の構造的沖縄差別への批判だけでなく、中国に対抗するものとして強化されている日米軍事同盟のあり方と、その法的根拠である日米安保条約への批判が、もっと必要である。
 80年代までの冷戦期と違い、米国、日本、中国の間では経済的な相互依存が進んでいる。一方で、海洋権益や資源の確保、領土・領海をめぐる対立など政治時的緊張をはらみかねない問題もある。米国、日本、中国が東アジアにおける覇権主義的な軍事強化を進め、東シナ海が争いの海と化してしまえば、沖縄は対立と争いの矢面に立たされる。

 沖縄にとっては、米国、日本、中国いずれの軍事強化にも反対し、東シナ海を融和の海にしていくことが、21世紀を生きていくうえで極めて重要である。そのためにも田中前局長の暴言への抗議にとどまらず、彼が沖縄でやろうとしていたことに反対していく必要がある。「本土」防衛の手段として沖縄を利用する。それを拒否すれば暴力的に支配する。そのような国家意思は断固拒否すべきだ。(琉球新報12/13、「沖縄防衛局長・「暴言」の本質 -4-」より) 



【関連する日記アーカイブ】
2010.06.07 この人に注目!(3) 目取真 俊さん  


Posted by ミチさん at 15:36Comments(0)防衛局長沖縄差別発言

2011年12月10日

これで幕引きされたらたまらない

田中眞紀子さんが、相次ぐ不祥事を批判して「伏魔殿」と評したのが国会にほど近い東京霞が関の外務省。そこから北向けに約3キロ。防衛省が立つ市谷にも手ごわいやからが闊歩(かっぽ)している

市谷は戦前から軍部と縁の深い土地だった。尾張藩上屋敷跡に陸軍士官学校が開校したのが1874年。大本営陸軍部、陸軍省、参謀本部も置かれ、市谷は旧日本陸軍の根城となる

敗戦後、陸軍省は復員庁へと改組し、海外にあった部隊・兵士の復員業務に当たる。陸軍士官学校の講堂は極東軍事裁判の法廷となった。陸軍の根城は戦犯断罪の場となる。1970年11月、作家の三島由紀夫が自死を遂げたのも、この地だ

日本の軍隊史上、由緒ある地で幅を利かせているのが、安全保障という舞台での踊り方を伝授する振付師役の防衛官僚たち。歴代防衛大臣をいっぱしの日米同盟信奉者に仕立てるのだから、技量は確かなのだろう

一川保夫防衛相の問責決議案が可決された昨日の国会。当人は「辞めない」と言っているが、市谷に陣取る官僚の受け止めはいかに。よもや「新大臣には上手に踊ってもらおう」などと考えているのではあるまい

その官僚も米側の意向には背けない。沖縄だって踊らされるわけにはいかぬ。そろそろ振付師役を返上してはどうか。手始めはアセス評価書年内提出の見直しから。
(琉球新報12/10、1面コラム「金口木舌」、記事原文はコチラ



(沖縄タイムス12/10、記事原文はコチラ



沖縄タイムス12/10社説 [防衛相問責可決]この埋め難い溝は何か

琉球新報12/10社説 防衛省処分 問われているのは差別構造


琉球朝日放送のニュース映像(動画)
2011.12.10 環境影響評価書 提出の断念求め集会
2011.12.09 参議院 防衛大臣の問責決議を可決


琉球新報12/10 防衛相に問責決議 低姿勢も聞く耳なく 政府、評価書提出強行へ

沖縄タイムス12/10 「問責は当然」県民に渦巻く反発


12/11追記
沖縄タイムス12/11 前防衛局長発言:4議会が抗議決議
沖縄タイムス12/11 「アセス評価書提出断念を」350人の拳
琉球新報12/11 「沖縄に誠意示せ」評価書断念訴える 辺野古反対県民集会

集会の様子は目取真俊ブログが詳しく伝えています
http://blog.goo.ne.jp/awamori777/e/f3f961fe1da2acef43bee959784e08f8

琉球新報12/11 評価書提出、反発強く 不適切発言に質疑集中  


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2011年12月09日

おわびのあるべき姿は・・・

(太字等はブログ管理者の編集による)

おわびのあるべき姿は
うそをつかない、言い訳をしない、心から頭を下げる
               
親の教えに従えばこうなる
前沖縄防衛局長の不適切発言の火消しのため来県した3人の政府要人の姿勢には疑問符が付く

 中江公人防衛事務次官は報道の翌日という素早い反応だったが、謝罪に続けて「普天間飛行場の移設作業は従来の方針に沿って進める」と仲井真弘多知事の公約に反することをわざわざ付け加えた。心からの謝罪といえるだろうか

 1995年の米兵による少女乱暴事件を「詳細には知らない」とした一川保夫防衛相は「国会の委員会の場で説明する事案でないと思った」と述べた。この期に及んで言い訳か。両者の対応のまずさを見てか、斎藤勁官房副長官は低姿勢。県が求める一括交付金を「立法化へ鋭意検討」と沖縄側の気を引いた

 しかし、前局長を処分し、おわび行脚で一件落着と考えるのならお門違いだろう。辺野古移設の手続きを粛々と進め、沖縄の予算要望にはある程度応えた形をつくる。そんな場当たり的対応を県民は見過ごさないだろう

 沖縄のことわざに「針ぇー取ってー飲まらん」がある。針は小さいが飲み込むと喉に突き刺さる。小さなことだとバカにすると痛い目を見る

 沖縄の不満、怒りの本質がどこにあるのか。国はそろそろ県民と真摯(しんし)に向き合っていいころだ。 (琉球新報12/9、1面コラム「金口木舌」、記事原文はコチラ) 

防衛相問責 根本的解決を避けるな

 一川保夫防衛相の更迭を求める問責決議案が9日にも野党から参院へ提出される。要求は当然だが、大臣の問責だけでは不十分だ。根本的な問題解決にならない。

 問責決議案では、米軍普天間飛行場移設計画の環境影響評価(アセスメント)手続きを性的暴行に例える暴言で更迭された田中聡前沖縄防衛局長に対する監督責任と、1995年の米兵による少女乱暴事件を「詳細には知らない」と答弁した一川氏の大臣としての適格性が問われる見通しだ。

 普天間返還問題の発端である不幸な事件に対する一川氏の認識不足に、県民は反発している。更迭もしくは辞任は避けられない。

 ただ、責任を防衛相だけに転嫁し、前局長の暴言に関する事務次官ら官僚側の監督責任、少女乱暴事件関連の発言で大臣の失言を助長した官僚の不作為、職務怠慢を不問に付しては県民も納得しまい。

 前局長が「審議官級の間では来年夏まで普天間問題で具体的な進展がなければ、辺野古移設はやめる話になっている」と普天間の固定化に言及した件で、自民党の佐藤正久氏が文民統制(シビリアンコントロール)が全くできていないと重大な提起をした。

 選挙で選ばれた政治家、国民の代表である国会による文民統制を支えるべき防衛官僚が、その立場と職務をわきまえていないのならば、極めて由々しき問題だ。

 県民は前局長の謝罪を求め、監督責任の明確化、防衛相の適格性を厳しく問うている。同時に、環境影響評価書提出と普天間県内移設の断念を強く求めている。

 繰り返すが、問題の本質は米軍基地問題を性的暴行に例えた高級官僚の沖縄蔑視や人権感覚の欠如だ。大多数の県民の反対にもかかわらず、辺野古移設計画を強行しようとしている国の構造的な差別政策である。この理不尽さを認識しない限り、防衛相を更迭しても問題は何も解決しない。

 米側では辺野古移設の実現性への疑問に加え、海兵隊撤退論も拡大している。野田佳彦首相は客観情勢を直視すべきだ。辺野古移設は実現不可能だ。これに固執するのは時間と労力の無駄である。

 野田首相は辺野古移設の日米合意見直しで政治主導の真価を見せてほしい。普天間飛行場の県外・国外移設、撤去へ舵(かじ)を切るのが、民主的リーダーのあるべき姿だ。
(琉球新報12/9社説、記事原文はコチラ


琉球朝日放送のニュース映像(動画)
2011.12.09 参議院 防衛大臣の問責決議を可決
2011.12.09 不適切発言 田中前防衛局長停職40日処分
2011.12.08 名護市議会 田中前局長 一川大臣発言に抗議決議

沖縄タイムス12/9 防衛局長発言:米タイム誌「基地問題 火に油」
沖縄タイムス12/9 防衛相が給与返納 前局長は停職40日
沖縄タイムス12/9 防衛局長発言:「沖縄支配の意識表出」(那覇で「緊急シンポジウム」)

  


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2011年12月08日

防衛局長更迭 その⑦阿部小涼、喜納育江

(太字等はブログ管理者の編集による)

政府の対処自体暴力 
 
阿部小涼・琉大准教授

 今般の防衛局長のレイピスト発言について、発言そのもののグロテスクさはすでに多くの批判を浴びたのでここでは繰り返すまい、いや何度でも繰り返し批難する決意をまずは確認しておこう。

 発言をめぐる日本政府の偏向した対処は、徹底した局所化・矮小化であった。発言は不適切だったが辺野古新基地建設は進めるというのだから。

 「法令に基づいて」とうそぶくが、日米地位協定の「法外」さは放置したまま、そして法そのものが沖縄に対する暴力装置として機能してきたのは特措法を見れば明らかだ。「手続きに基づいて」というが、その手続きのエキスパートである官僚こそがレイピストであったことが暴露された。日本政府の対処はレイプ的暴力そのものである

 マスメディアの失敗は目に余る。さっそく「女性に対する侮辱」との語が見出しに躍る。なぜ「犯す/やる」対象は、無前提に女なのか。記者もデスクも県知事も政治家も、自分が「犯される」立場に立って怒りを表明できていたか。なぜ、他にも埋もれた事件が幾多に及ぶというのに、いまだに1995年の事件のみを、われわれは想起するよう仕向けられるのだろうか。

 驚くべきは、発言が発覚し大問題となったその日も、防衛局は東村高江で工事強行の真っ最中であったことだ。「北部訓練場の過半を返還するためにやっている工事で、反対だということ自体、正直言って私には合点がいかない」(11月25日)との田中局長発言は、レイピストの釈明そのものである。

 嫌だという声をねじ伏せ、存在を否定し、蹂躙する。司法も警察も利用してさげすみ苦境を強いる。事後になって「合意の上のことだ」と脅迫的に同意を迫るのが目に見えるようだ。レイプはすでに起こっている。

 ところで思い出してほしい。高江を弾圧する当局が決まって持ち出す「過半の返還は沖縄の負担軽減」という説明は、件(くだん)の防衛局長だけの持論ではない。ヘリパッド建設を容認する県が繰り返してきた説明も同じではないか。セカンドレイプとは守護者だと思っていた側から不意を突いて出る攻撃によって被害者がさらに深く傷つけられることである。このたびのレイプ発言を言説レベルで批判するならば、まったく同時に、われわれはセカンドレイプの言説構造についても厳しく指弾しなければならない。

 ミソジニーという語は一般にはなじみがないかもしれない。女性に対する憎悪を言うが、これは表面上は女を大切にしているかに見えるものにも当てはまる。「守ってやる」と「犯る」は表裏一体で、他者の生(性)を個性や主張を持つ存在ではなく、ただモノとして対象化する思考である。

 植民地主義とミソジニーは歴史上常に共犯関係にあって、抵抗するものの声をつぶしてきた米・日・沖の安保体制にも内在する。基地の押し付けというレイプ的暴力に対抗する私たちは、内に潜むミソジニーとも決別する必要がある。
(沖縄タイムス12/4、「連鎖する差別・田中発言の裏側 -3-」より)



県民を人間視せず 「回復」すべき信頼なく
植民地的支配者の意識
喜納育江・琉球大学国際沖縄研究所教授

<略>
 今回の防衛局長たちの言葉は、官僚のいわゆるトップ層にいる人間の知性や品性の低さを表していた。人権感覚を欠いた一連の言葉の背後に、日本的・男性中心的な組織にありがちな古い男性優位イデオロギーと権威主義の体質が透けて見えた。そんな組織的体質の中で醸成されてきた意識が起こした舌禍事件だったと言える。しかし、単なる舌禍事件としては済まされないほど、問題の根は深いとも思った。

優越感と支配幻想
 まず、最初の防衛局長の暴言には、植民地的な状況で支配者がもつ意識の本質が集約されていた。言葉の貧しさは、他者の痛みへの想像力の貧しさを反映する。「レイプする」と同義の「犯す」「やる」という言葉が発せられた瞬間、沖縄には性暴力の対象のイメージが重ねられた。同時に、発言者はその性暴力の行為者のイメージを自分たち(=日本政府)に重ねた。自ら自分たちをレイピスト(性暴力者)の姿に重ねたのである。「沖縄」を性的に支配する自分たちを想像して、罪悪感や違和感はなかったのか。むしろ快感だったのなら、異常な感覚であるとしか思えないが、それを異常とは気づかせない支配者の論理が組織的・構造的に発動したと考えられる

 レイピストの言葉の根にひそむのは、「他者」に対する「根拠のない、しかし絶対的な優越感」と、「他者の意志や将来は私に左右される」という、これも根拠のない自己中心的な支配幻想である。この幻想は、目の前にいる「被支配者」が同じ人間であると認識するのを妨げる。性差別と植民地支配に共通するものは、相手の主体性に対する想像力の欠乏と、自らの暴力性に対する無自覚、そして暴力そのものへの無感覚である。支配幻想による特権意識にとらわれた人間は、被支配者の中に自らと同じレベルの「人間」がいるとは思っていない。

 その意味ではあの「非公式の懇談会」にいた記者の人々も「人間」とみなされていたのか疑問だ。
女性はひとりもいなかったそうだが、もし沖縄の女性がその場にいて「犯す」という意の言葉を耳にしたら、その瞬間、不快感と怒りで肝が震えただろう。性暴力に苦しむ姿と、その痛みをまず想像するはずだからだ。いや男女を問わず、「本音」が下品なジョークとして吐露されたその場を共有した、というだけで、共犯者になってしまったような嫌悪感を覚えるだろう。記者としての職業倫理のみならず、人としての良心が今回の放道に踏み切る決断へとつながったのだと思う。

差別主義者の偏愛
 しかし、その後の日本政府の建前と本音にはそうした決断の重さや切実さなどどうでもよいといった態度が見える。ただちに防衛局長を更迭し、低姿勢を装いつつも、環境評価書の年内提出の意向を語る。同じ口から出る「謝罪」の言葉は空虚そのものだった。また1995年の暴行事件について「正確な中身を詳細には知らない」といった防衛相のしどろもどろも答弁にも耳を疑った。あの総決起集会に集まった8万5千人の沖縄県民の怒りと悔しさ、ひいては戦後この場所で戦い続けた人々の思いと汗を平気で「無」にする言葉だった。今回のことも「お荷物を背負った」としか言わない。弁解と自己保身だけには必至な素人を大臣に登用してしまう日本政府の政治的資質は絶望的だ。尻尾の先だけ切っては逃げる、の繰り返しで保身と延命を図る日本政府や米国政府は、いつまで市民の生活を劣化させ続ければ気が済むのか。 「信頼回復」と言うが、これまで日本政府が沖縄の信頼に応えたことがあっただろうか。「日本」がいくら沖縄を重視する沖縄の味方だと言ったところで、結局「人種差別主義者の偏愛(racist love)」にすぎない。(この「人種差別」は性差別や他の差別にもあてはまる。)
つまり、自分たちの要求を従順に受け容れ、心地良くさせてくれる沖縄は「好き」でも、自分たちの思い通りにならない沖縄を好きになることはない。またたとえ「好き」でも、その「好き」は決して「尊敬」にはならない。沖縄の経験や論理を理解しようとせず、自らが何者であるかを知らずしてこの地に踏み込んでくる人々に限って、自分たちが支配者に類しうるという自覚はない。
オフレコの酒の場だし、どんな発言でも沖縄なら受け流してくれると楽観した防衛局長のセンスもその無自覚さの例である。

 「汚いない言葉」と言うが、そのものが汚い言葉というものはない。ただし言葉を発する人間の意図や意識によってはどんな言葉も汚くなる。あのような性暴力的な言葉を新聞の見出しで見るだけで、生理的な拒否や恐怖とともに、傷つく人々がいる。まともな感覚とは本来そのようなものだということを忘れてはいけないと思う。
(琉球新報12/8、「沖縄防衛局長・「暴言」の本質 -2-」より)



  


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2011年12月03日

防衛局長更迭 その⑥防衛大臣 謝罪の旅


(沖縄タイムス12/2、記事原文はコチラ




(琉球新報12/3、記事原文はコチラ



琉球新報12/2社説 「暴言」の本質 沖縄蔑視の構造化を危惧

沖縄タイムス12/1社説 [防衛局長暴言(上)]事態の深刻さ認識せよ
沖縄タイムス12/2社説 [防衛局長暴言(中)]政府よ、あぁ我が政府よ
沖縄タイムス12/3社説 [防衛局長暴言(下)]計画の破綻に向き合え


琉球朝日放送のニュース映像(動画)
2011.12.03 一川防衛大臣謝罪 知事・議会厳しい対応


12/4追記
琉球新報12/4社説 普天間問題 県民の心と政局弄ぶな 「撤去」で首相の大局観を


12/5追記
沖縄タイムス12/5大弦小弦 政治家の失言について…

琉球新報12/5 「沖縄の心踏みにじった」 局長発言で26女性団体が7日に抗議集会

沖縄タイムス12/5 防衛相「職責全う」 首相も更迭否定

沖縄タイムス12/5 防衛局長発言:米高官、更迭の重さ認識


12/6追記


(沖縄タイムス12/6、記事原文はコチラ


沖縄タイムス12/6 防衛相、辞任を拒否 前沖縄局長は謝罪へ
沖縄タイムス12/6 防衛相辞任求め意見書 読谷議会
沖縄タイムス12/6 名護市長、防衛相の早期辞任求める

  


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2011年12月01日

防衛局長更迭 その⑤孫崎亨、佐藤優

決意欠如の軽率発言
孫崎亨・元外務省国際情報局長

 普天間飛行場の辺野古移設の環境影響評価の手続きを進めても、県民や県の反対する姿勢が変わらないということは田中局長も知っていたはずだ。

 政府が手続きを進める一番の理由は、米国に対して移設作業が進んでいるという言い訳を示すことだ。局長自身も評価書にそれぐらいの位置づけしかなく、本当に決意を持って普天間を動かそうという意気込みはないから気が緩み、軽率な発言が出てくる

 田中局長を残してアセスを進めれば、沖縄県民は、すべてを拒否し反発するだろう。一般の人の気持ちを傷つけ、感情的な摩擦を起こしてまで、局長を残す必要はなく、米国との関係を悪化させないためにも、切る以外に方法はなかった。(沖縄タイムス11/30)


「沖縄通」という病理
佐藤優・元外務省主任分析官

 11月29日に更迭された田中聡沖縄防衛局長の暴言の根は深い。この背景を究明するためには、更迭の原因となった「犯す前に犯しますと言いますか」という発言以外に同月28日夜の懇談会で田中氏が述べた事柄にも目を向けなくてはならない。

 1995年の米兵暴行事件で当時のリチャード・マッキー米太平洋軍司令官の「犯行に使用した車を借りる金があれば女を買えた」との発言について、田中氏は「その通りだと思う」と答えた。また田中氏は、「(400年前に)薩摩に侵攻されたときは(琉球に)軍隊がいなかったから攻められた。基地のない平和な島はあり得ない」との認識を示した。

 これらの暴言を田中氏の個人的資質に還元してはならない。防衛省という組織に沖縄に対する差別意識が構造として染みついていると見るべきだ。

 田中氏は若いころに防衛施設局職員として沖縄で働いたことがある。沖縄における米軍の性犯罪についても熟知している。それなのに「犯す」という言葉をどうして用いたのだろうか。それは田中氏が被害者側になることは絶対ないという認識を無意識のうちに持っているからだ。

 また琉球・沖縄史に関しても、田中氏は一定の知識を持っている。しかし、その知識は沖縄に対する理解にはつながらず、沖縄の米軍基地過重負担の正当化にその知識を用いる。

 戦前、戦中の日本軍に「支那通」と呼ばれる人々がいた。中国語を巧みに操り、中国の歴史や政治情勢に関する知識もある。この人々は中国を植民地支配の対象とみなし傀儡政権樹立やアヘン販売などの謀略活動に従事した。「支那通」は日本軍の利益に反する中国人を躊躇なく暗殺した。

 田中氏の沖縄に対する視座は旧陸軍の「支那通」に通じる。県民を同朋と考えるならば、オフレコ懇談でこのような暴言を吐くことはできないはずだ。田中氏のように沖縄を支配の対象と見なす「沖縄通」という病理を抱えた防衛官僚が何人いても、東京の中央政府と沖縄の関係は改善しない。

 「沖縄通」の論理は、防衛事務次官を務めた守屋武昌氏の回想録『「普天間」交渉秘録』(新潮社)に端的に示されている。守屋氏は、「協力するから国も譲ってほしいというのは、沖縄の常套の戦法です。これまで何度政府はこれに引っ張られてきたか。国の担当者は2年ごとに代わるので沖縄のこの手法に気がつかないのです。妥協すればこれで終わらなくなる。次から次へと後退を余儀なくされます」と主張する。沖縄に妥協せず辺野古移設を強行すべきとの信念を守屋氏は持っていた。

 「沖縄通」の守屋氏は収賄罪で2年6カ月の懲役が確定し社会から隔離されているが、構造的差別のイデオロギーである守屋主義は田中氏をはじめとする防衛省の「沖縄通」に継承されている。

 田中暴言事件を契機に防衛省が取り組まなくてはならないのは、組織に染みついた沖縄に対する差別意識を脱構築することだ。
 (沖縄タイムス12/1、「連鎖する差別・田中発言の裏側 -1-」より)

  


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