【PR】

  

Posted by TI-DA at

2009年03月02日

新嘉手納爆音控訴審判決

新嘉手納爆音訴訟の控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は、一審・那覇地裁沖縄支部が賠償の対象外とした5519人を対象に、総額約56億2700万円の支払いを国に命じた。しかし聴力損失などの住民の健康被害と騒音の因果関係を認めず、夜間と早朝の飛行の差し止め請求を退けた。

また、飛行の差し止め請求については、「米軍機の離着陸は日本政府の支配が及ばない」という最高裁判例を踏襲して棄却。米政府に飛行の差し止めを求めた「対米訴訟」は、国際法により駐留米軍の公的活動は民事裁判権が免除されているとして、訴えを退けた。

では、住民が静かな夜を取り戻す道はないということになってしまうのではないか。

人が住んでいたところに、後から基地がやってきた。そんなバカな話があっていいものか。

住民側弁護団は、最高裁への上告を決めた。


2/28の地元二紙の社説に取り上げられていたので全文を紹介します。

【以下 転載】(太字等はブログ管理者の編集によるもの)

[嘉手納爆音控訴審]
   

国の怠慢は許されない


 新嘉手納爆音訴訟控訴審判決で、福岡高裁那覇支部は騒音の受忍限度を「うるささ指数」(W値)75以上と判断。原告住民のほぼ全員に損害賠償を認め、国に総額約562700万円の支払いを命じた。賠償額は航空機騒音訴訟では過去最高だ。

 米軍嘉手納基地の周辺住民5540人が日米両政府に米軍機の夜間・早朝の飛行差し止めと騒音被害の損害賠償を求めていた。

 一審の那覇地裁沖縄支部は受忍限度を一連の航空機騒音訴訟では最も高いW値85以上とし、W値80-75地域の住民1660人の請求を棄却していた。

 賠償対象を広げたという意味では、評価できる判決だ。ただ、一審判決は、W値75以上が定着する中、住民の現状を正確に受け止めていたか疑問が残るものだった。現に、その後、言い渡された普天間爆音訴訟では、同じ那覇地裁沖縄支部がW値75以上の原告住民に損害賠償を命じていたからだ。前進ではなく現状を踏まえた被害認定というべきだろうか。

 判決の核心は、むしろ次のくだりにあるとみたい。

 原告住民が受忍限度を超える騒音にさらされているのは明らかとした上で、「旧訴訟でも認定されながら、その後も根本的な改善は図られていない」と国の怠慢を批判している点だ。

 夜間・早朝の飛行差し止め請求は棄却したものの、判決は「騒音を改善する責務がないことを意味するのではなく、むしろ、より一層強い意味で、騒音の改善を図るべき政治的な責務を負っている」と異例の強さで国の責任を指摘している。

 在日米軍再編で日米両政府がうたい文句にする沖縄の負担軽減だが、嘉手納基地には最新鋭のF22ステルス戦闘機12機が配備され、日米騒音防止協定は守られず未明離陸が常態化。外来機も頻繁に飛来し、騒音は軽減どころか増加しているのが現状だ。

 判決は住民悲願の夜間・早朝の飛行差し止めを棄却し、難聴など健康被害との因果関係も認定しなかった。

 飛行差し止め棄却の根拠は、日本政府は米軍機の運航を規制・制限できる立場にはないとする「第三者行為論」と、米政府に民事裁判権は及ばないとする「主権免除」だ。これまでの判例を踏襲したものだが、司法の権限を自ら制限すると、被害住民は日米いずれにも飛行差し止めの司法的救済を求めることができなくなる。そうであれば、国に、米国と交渉するなど騒音軽減策を要求するのは当然だ。

 国は損害賠償を支払えばいいというものではない。「静かな夜を返せ」という住民の悲痛な叫びには何も応えていないのだ。

 例えば、嘉手納基地が東京にあって戦闘機が住宅地上空を飛び、爆音をまき散らしたら。米本国で、基地が住宅地に隣接して存在し爆音を生じさせたら―。日米両政府の対応はもっと違ったものになるのではないか。

 国は米国にものを言い、爆音軽減に向けた具体策を取らなければならない。(沖縄タイムス2/28社説)



新嘉手納爆音訴訟 米軍は「第三者」ではない

爆音軽減は国と米軍の責務

 何度も繰り返すが、日米安保は国民の命を守るためにある。
 その安保が、国民の命を危うくしている。その矛盾を県民は国に問うている。
 なぜ、県民は、昼夜を問わず米軍機の爆音禍に曝(さら)されなければならないのか。
 なぜ、爆音は軽減されるどころか、激しさを増し続けるのか。
 なぜ、国が測ると爆音被害の「うるささ指数」は小さくなるのか。
 なぜ、裁判で爆音被害を認定しながら裁判所は「爆音源」となる米軍機の飛行を差し止められないのか。

【爆音禍の根源除去が必要】
 米軍嘉手納基地の周辺5市町村の住民5540人が、国を相手に米軍機の夜間飛行の差し止めや損害賠償を求めた新嘉手納基地爆音訴訟の控訴審判決が27日午後、言い渡された。

 結果は、国に56億円余の賠償命令と一審判決で狭められた補償救済枠の復活が認められた。

 しかし、爆音による聴力障害などについては「因果関係」を否定する判決となった。

 控訴審でも、周辺住民が曝されている爆音被害が、W値(うるささ指数)75以上で「受忍限度を超えた騒音で精神的苦痛を受けている」と明確な判断が示された。

 被害認定に伴って、国に命じた賠償額が56億円だ。補償は過去の被害分だ。

 裁判で補償を勝ち取っても、「受忍限度を超える精神的苦痛」を与える米軍機の爆音の呪縛(じゅばく)から原告の嘉手納基地周辺住民が逃れることはできない。
 なぜなら裁判所は爆音をまき散らす米軍機の飛行差し止めを求める原告らの請求を、一審同様に棄却したからだ

棄却の理由を、判決文はこう説明している。
 「被告(国)は、条約ないし国内法令に特段の定めがない限り、米軍の本件(嘉手納)飛行場の管理運営の権限を制約し、その活動を制限することはできない」
 権限のない被告(国)に、原告らが米軍機の離着陸などの差し止めを請求するのは、「被告に対し、その支配の及ばない第三者の行為の差し止めを請求するもの」として「主張自体失当」とした。


 嘉手納飛行場は、沖縄にある。沖縄は日本だ。その嘉手納飛行場を米軍に提供しているのは日本国だ。
 国が米軍に提供した基地が国民たる県民の生存権を脅かし、日常的に健康被害を与えている。

 被害を与えている当事者は米軍だ。国は提供した責任がある。だから被害の補償は国が行う。それも一理だ。だが、もっと踏み込んで言うなら、なぜ国民の命を守るために提供しているはずの米軍基地のために、国民が命を脅かされ続けなければならないのか。
 国は国民の命を守る義務があり、基地の「提供者」としての権利があるはずだ。ふらちな使用で周辺住民に被害をもたらす店子(たなこ)に、退去を求めるのは自然なことだ。

【実効ある騒音防止協定を】 
 実際、ドイツや韓国、イタリアでも駐留米軍が訓練や演習事故で国民に犠牲を出した場合は、使用制限などの措置を科し、極端な場合は、撤去すらも求めている。(琉球新報2/28社説)

 爆音被害をもたらす米軍を「第三者」と位置付ける裁判所の判決には違和感を覚える。交通事故なら事故原因となっている米軍こそが「第一当事者」だ。基地を提供する国が、米軍を「支配の及ばない第三者」というのも納得がいかない。嘉手納爆音訴訟は、1982年の「旧爆音訴訟」に始まる。今回は2度目の「新訴訟」だ。


 前回の訴訟で、国は深夜早朝の米軍機の爆音軽減措置を約束したはずだ。しかし、嘉手納町が2006年に実施した調査では、午後10時から午前6時に発生した70デシベル以上の騒音は3912回と過去最高を記録している。

 昨年も未明離陸の中止を求める住民の切実な声を無視し、米軍は爆音を轟(とどろ)かせ、未明離陸を強行した。国も米軍の暴挙を事実上、黙認している。すでに騒音規制措置は、形骸(けいがい)化している。

 爆音禍が激しさを増す中で被害の増大も見込まれる。それでも国、裁判所は「飛行差し止め」は棄却し、爆音被害を結果として放置する。「未必の故意」を、いつまで続けるつもりなのか。
 せめて爆音軽減に向け、違反には「離着陸禁止」「基地撤去」の罰則を含む実効性のある「騒音防止協定」の締結を求めたい。



  


Posted by ミチさん at 01:11Comments(0)嘉手納爆音

2009年03月01日

沖縄から夕刊が消えた日






 「雨ニモマケズ 風ニモマケズ」で始まる宮沢賢治の名作。風雨や暑さに負けぬ強い体、私欲に走らずに生・老・病・死の四苦に苦しむ人々を慈しむ思いやり、困難にめげず真っすぐな気持ちで歩み続ける心―など賢治の願望が込められているとされる

▼この詩は新聞作りの心構えにも通じる。新聞社も一線記者から各現場の担当、配達員に至るまで、プロとして台風にも逆境にも負けてなるものかと考えている。「読者に『喜怒哀楽』満載の紙面を」「大事なニュースを速く伝えねば」との一心からだ

▼「この記事は夕刊向きだな」。現場で日常的に飛び交う言葉。家族だんらんの場に暗いニュースだけでなく、明るい話題、ほろっとするヒューマンストーリーを。これは新聞社内の暗黙の了解だ

▼「何時だと思ってるんだ。離島便に間に合わんぞ。早く出せ」「一カ所確認が必要、20行空けといて」。こんな緊張感の中、時間と闘うのも夕刊の日常の作業風景だった

▼1954年3月1日に発刊された本紙夕刊は55歳の誕生日を前にきょう役割を終える。重大ニュースや話題はもちろん、健康・子育て・レジャーなど暮らしを潤す情報は夕刊が主舞台だった。これからは朝刊がその役割を一手に担う

▼読者の幸福を応援する新聞の究極の目標は不変。「伝えなければ」の初心を忘れず、新聞は力強く歩み続ける。

       (琉球新報 2009年2月28日 金口木舌より)
  


Posted by ミチさん at 00:53Comments(0)ニュース・トピック