2010年10月15日
13年は長かった 名護市議会やっと決議
歴史的瞬間に立ち会いたくて行ってきました 市議会傍聴
詰めると25人座れる傍聴席はいっぱい、立っている人もたくさんいました。
テレビカメラが6台、内外メディアが注目する瞬間は16:03にきました。
普天間飛行場の移設先を名護市辺野古と明記した「日米共同声明の白紙撤回を求める意見書」(辺野古移設反対決議)は、結局野党(移設容認派)の賛同が得られず、賛成多数で可決された。
1997年に比嘉鉄也元市長が市民投票の結果を握りつぶして移設案を受け入れて以降、初めて同市議会が反対の意思表示を日米政府はもちろん全国に示したことになる。
昨年の移設反対市長の誕生、そして先月の名護市議選での市議会勢力の与野党逆転が、きょう、ようやくこういう形あるものに結実した。
移設先地元の議会が反対決議をしたことの意義は大きい。

(
今朝の沖縄タイムス紙の連載[続「アメとムチ」の構図・砂上の辺野古回帰]の中に、「礎(いしじ)之会」というのが出てくる。まさにこのメンバー8人が最後まで「移設容認」に固執した。
人によって意見が違うのは当たり前のことだ。個人の思想信条は尊重されなければならないこともよく分かる。
しかしここにいる議員は選挙により議会に送り込まれた住民の代表者であり、民意に基づいて職責を果たさなければならないのはいうまでもないことだろう。しかしこの8人は選挙期間中、有権者に対して「移設容認」の自論を封印して議席を得た人たちだ。堂々と自分の考えを述べた上で議席を得、議場でその考えを述べるのであれば「自分も民意の代弁者」と胸が張れるだろうが実態はそうなっていない。なぜそれを封印したのか。封印しなければ当選する見込みがなかったからだ。こういう姑息な議員に代表者面されたくない。
結果的に多数決で決まったが、数の論理ではなく「選挙により選ばれた代表者」という質の論理でも彼ら彼女らには分がない。
【関連する日記アーカイブ】
これまでの名護市議会の様子がわかります
2010.10.03 知事、初めて政府に「県外移設」を要求
詰めると25人座れる傍聴席はいっぱい、立っている人もたくさんいました。
テレビカメラが6台、内外メディアが注目する瞬間は16:03にきました。
普天間飛行場の移設先を名護市辺野古と明記した「日米共同声明の白紙撤回を求める意見書」(辺野古移設反対決議)は、結局野党(移設容認派)の賛同が得られず、賛成多数で可決された。
1997年に比嘉鉄也元市長が市民投票の結果を握りつぶして移設案を受け入れて以降、初めて同市議会が反対の意思表示を日米政府はもちろん全国に示したことになる。
昨年の移設反対市長の誕生、そして先月の名護市議選での市議会勢力の与野党逆転が、きょう、ようやくこういう形あるものに結実した。
移設先地元の議会が反対決議をしたことの意義は大きい。
(沖縄タイムス10/15、記事全文はコチラ)

普天間飛行場を県内移設するとした日米合意の撤回を求める意見書に対し賛成で起立する議員=15日午後4時3分、名護市議会(伊藤桃子撮影)
今朝の沖縄タイムス紙の連載[続「アメとムチ」の構図・砂上の辺野古回帰]の中に、「礎(いしじ)之会」というのが出てくる。まさにこのメンバー8人が最後まで「移設容認」に固執した。
人によって意見が違うのは当たり前のことだ。個人の思想信条は尊重されなければならないこともよく分かる。
しかしここにいる議員は選挙により議会に送り込まれた住民の代表者であり、民意に基づいて職責を果たさなければならないのはいうまでもないことだろう。しかしこの8人は選挙期間中、有権者に対して「移設容認」の自論を封印して議席を得た人たちだ。堂々と自分の考えを述べた上で議席を得、議場でその考えを述べるのであれば「自分も民意の代弁者」と胸が張れるだろうが実態はそうなっていない。なぜそれを封印したのか。封印しなければ当選する見込みがなかったからだ。こういう姑息な議員に代表者面されたくない。
結果的に多数決で決まったが、数の論理ではなく「選挙により選ばれた代表者」という質の論理でも彼ら彼女らには分がない。
(沖縄タイムス10/15、記事全文はコチラ)
(沖縄タイムス10/11、記事全文はコチラ)
(沖縄タイムス10/10、記事全文はコチラ)
(沖縄タイムス10/9、記事全文はコチラ)
【関連する日記アーカイブ】
これまでの名護市議会の様子がわかります
2010.10.03 知事、初めて政府に「県外移設」を要求
Posted by ミチさん at 20:43│Comments(0)
│反基地