2010年08月17日

続「アメとムチ」の構図 ~砂上の辺野古回帰~⑳

特措法の影 「国は強行」地元懸念
 
知事選次第と予測


 「念頭にまったくない」。首相菅直人は6月15日の参院代表質問で、米軍普天間飛行場移設をめぐり、公有水面の埋め立て許可に関する知事権限を取り上げる「特別措置法」を模索する可能性を全面否定した。

 だが、菅の言葉を地元は額面通りに受け止めていない。「政府が移設先を辺野古に戻すとしたら、今度は本気でやってくる。特措法でも実施されたらかなわない、という考えが誰の頭にもあった」。辺野古区行政委員会の役員は「個人的には区の容認決議には反対だった」としつつ、決議を支持したメンバーの思いを代弁する。

 新政権が県内移設に舵(かじ)を切り始めるのと前後し、名護市の関係者の間で示し合わせたように「特措法」が話題に上った。

 特別措置法は、国と県、名護市が協議を重ねて選定した建設位置を、米軍再編の日米交渉の過程で白紙化し工事が進めやすい浅瀬側に変更するとともに、当時の稲嶺県政が受け入れ条件として掲げた「軍民共用」や「15年使用期限」を一方的に退けた政府の手法に、県が強く反発したのが議論のきっかけとなった。

 2006年の知事選の直後、防衛庁長官・久間章生は「(県内移設反対の候補が当選した場合には)法律をつくってでも、一方的に県知事の(海域)使用権限を国に移してでも、やらなければいけないと考えていた」と述べ、政府内で特措法制定が検討されていた事実を認めている。

 菅の公式見解はさておき、政府が特措法の検討を迫られるとすれば、米軍再編時と同様、11月の知事選の結果いかんとなる、との見方が地元区には根強く残る。とはいえ、政府内からは特措法どころか、「辺野古回帰」後の普天間移設問題の解決の道筋すら一向に見えてこないのが実情だ。

 稲嶺県政時代に県政策参与を務めた比嘉良彦「地元区の容認派は政府関係者などから、いざとなれば政府は特措法で強行する、との情報が刷り込まれているのかもしれないが、今は政府が沖縄に強権すなわちムチがふるえる環境にはない」と説く。

 比嘉は、強権派といわれた守屋武昌が防衛事務次官を務めたときですら、政府は県内世論の反発を恐れ、海上での阻止行動を続ける反対派の強制排除をためらった経緯を指摘した上で、「『オール沖縄』対『日米両政府』という構図になりつつある今日、泥をかぶってでも移設を強行する、というモチベーションのある人が今の官僚、政治家には見当たらない。結果的に辺野古移設の推進力は働かず、日米合意案がフリーズ(凍結)する可能性が高い」と展望する。

 地元区で一人歩きし、容認の論拠としても利用されている「特措法の影」は、地元に刷り込まれた現状認識のギャップの一つといえる。(肩書は当時、敬称略)
(続「アメとムチ」取材班)





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Posted by ミチさん at 17:07│Comments(0)反基地
 
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