2010年08月08日

続「アメとムチ」の構図 ~砂上の辺野古回帰~⑮

国の地元分断
 
容認派利用して画策 名護市長包囲網へ


 米軍再編当時、防衛省関係者は県や名護市との交渉が行き詰まるたび、「地元の地元」に回帰して事態打開につなげようとした。

 移設先の市内東海岸地域にある地元区の容認派の有力者と頻繁に接触し、あるときは国から名護市への振興策の配分が市街地の西海岸地域の事業に偏っているデータを見せ、市当局への不満をあおり、分断を図る手法もとられた。

 名護市長稲嶺進が移設への反対を明確にしている今回、米軍再編時にも増して政府が地元区の動向を注視しているのは間違いない。地元区と政府の駆け引きはすでに始まっている。

 菅直人の首相就任後初の沖縄入りを翌日に控えた6月22日正午すぎ。防衛省11階の大臣応接室で、辺野古区長大城康昌、名護漁協組合長古波蔵廣ら地元容認派の有力者と防衛相北沢俊美、地方協力局長井上源三ら防衛省幹部が向き合った。

 古波蔵らは辺野古区の条件付き容認決議を伝えた上で「(工法は)埋め立てにしてもらいたい」と北沢に直談判した。

 面談後、記者の質問を受け、あっさりと区民との面談を認めた北沢に対し、大城、古波蔵らのガードの堅さは好対照をなした。

 防衛省1階で待ち受けた記者から、北沢との面談の趣旨を問われた大城、古波蔵らはこわばった表情を崩さず、すでに北沢が面談の事実を認めていることを告げてもなお、「(大臣とは)会っていない、勘違いじゃないの」と受け流し、防衛官僚とともに車に乗り込むまで白を切り通した。
 区民と北沢の急な面談のセッティングは、旧防衛施設庁の機能を引き継ぎ、地元対策を担当する地方協力局の局長井上が取り仕切った。

 この背景について防衛省関係者は「防衛省は仲井真知事から埋め立て許可のはんこをもらおうと焦っている。だからこんな時期に大臣と辺野古住民を合わせるんだ」と解説する。

 地元区の容認派を利用し、移設に反対している名護市長稲嶺の包囲網を敷こうと画策する防衛官僚の意図は明白である。

 そうした中、官僚らと共謀し、地元のリーダーである稲嶺を陥れることに加担しているという後ろ暗さが、表沙汰(おもてざた)になるのを極端に恐れる大城や古波蔵の行動原理に反映しているのだろうか


 市民、県民の民意との乖離(かいり)を自覚しつつ、彼らを「条件闘争」に駆り立てる背景には、「日米が正式に決めた以上、地元が抵抗しても強行される。頭越しに進められる前に手を打つ必要がある」という共通認識がうかがえる。

 それは、日米政府関係者と水面下での接触を重ね、圧倒的な権力を目の当たりにする中で刷り込まれた強迫観念ともいえる。
(敬称略)
(続「アメとムチ」取材班)




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Posted by ミチさん at 11:54│Comments(0)反基地
 
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