2010年08月07日

続「アメとムチ」の構図 ~砂上の辺野古回帰~⑬

米側の根回し
 
容認派と「共同戦線」 面会重ね深く浸透


 辺野古区の容認決議の背後には、米政府の水面下での「根回し」の影もちらつく。

 在沖米国総領事レイモンド・グリーンは2009年8月の赴任以来、移設先周辺の3区長ら地元有力者と定期的に面会を重ねている。

 「移設先は辺野古以外にない」

 グリーンは面談のたびに、米政府のメッセージを唱え続けた。

 これにより、区長らを通じて地元に「米政府の意向」が浸透した。グリーンは新政権による移設先見直しや、移設に反対する稲嶺市政の誕生という「逆風」の中でも、地元容認派の受け入れの意志が揺るがないよう、つなぎ留める「防波堤」の役割を担った。

 「偉い人なのに、こちらの考えに耳を傾けてくれる。新政権よりよっぽどましだ」。ある区長の言葉は、地元区と米総領事の蜜月関係をうかがわせる。

 辺野古移設を容認する地元有力者の声は、在沖米国総領事を通じて米本国に報告され、移設先をめぐって迷走する日本政府に「地元の同意が必要」として「辺野古回帰」を迫る米側の論拠にもなった。

 在沖米国総領事と地元容認派は、トーマス・ライクが総領事を務めた05年10月の日米合意(米軍再編中間報告)での沿岸案(L字案)決定に至る過程でもタッグを組んだ経緯がある。

 当時、沖合の従来案が頓挫した教訓から「実現可能性」を最優先に「陸上」にこだわる日本側がキャンプ・シュワブ陸上案を、キャンプ・シュワブの陸域施設を既得権益として確保しておきたい米側が海上の名護ライト案(浅瀬案)をそれぞれ主張し、綱引きを展開していた。

 その渦中に在沖米国総領事として在任していたライクは、コンパクトな基地を志向する市長岸本建男や、地元で受注可能な「簡素な工法」を望む業界代表の仲泊弘次らと水面下で意見交換を重ね、浅瀬案で共同戦線を張った。

 05年9月に岸本が名護市議会で「浅瀬案容認発言」を打ち出した2日後、米国防総省当局者が同案について「最善の選択と考えている」との談話を発表するなど、太平洋を越えてペンタゴン(米国防総省)が名護市に呼応したかのような息の合った局面も見られた。

 「地元が要望している案」として売り込めば、対日交渉でも大きなポイントを稼げることは、米政府にインプットされている。

 普天間代替施設の受け入れをめぐる歴代の在沖米国総領事の仕事ぶりは「同じ国の機関でも、外務省沖縄事務所とは比較にならないほど地元に食い込んでいる」と名護市の有力者は口をそろえる。(肩書は当時、敬称略)
(続「アメとムチ」取材班)





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Posted by ミチさん at 16:24│Comments(0)反基地
 
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