2010年08月07日
続「アメとムチ」の構図 ~砂上の辺野古回帰~⑨
賛否両派
地元分断の悪夢再び 3区の対応に濃淡
米軍基地とのかかわりの歴史やスタンスがそれぞれ異なる辺野古、豊原、久志を「久辺3区」と一括(くく)りにとらえようとすると、地元区の実態を見誤ることになる。
とはいえ、10年以上にわたる米軍普天間飛行場移設問題の流れの中では、行政委員の顔ぶれによって対応に濃淡があるほか、国への要請などでは3区長で足並みをそろえることが多く、外部からは「本音」が見えにくい。日米政府関係者との面談にも、3区長は顔をそろえて臨むことが多い。
久志区行政委員長の森山憲一は「区長にはさまざまな役割があるので、一概に(日米政府関係者と)会うなとは言えないが、黙って同席しているだけでも容認ととられる場面もある。何を話したか、すべて報告するように言ってある」とくぎを刺す。
5月の辺野古区の条件付き容認決議に反発するように、久志区行政委員会は6月12日、移設反対を貫く名護市長稲嶺進を支持する決議を全会一致で可決。同19日には、住民有志でつくる「久辺3区 稲嶺市長を支える会」が発足し、共同代表の一人に久志区民が就任した。
「政府は今後、なりふり構わず市長に圧力をかけてくる。地元は容認ばかりではないという事実を今後は強く発信していかなければならない」と森山は話す。
一方、政権交代や新市政誕生で分が悪かった容認派も、政府の「辺野古回帰」で息を吹き返しつつある。
普天間飛行場の移設先を名護市辺野古沿岸部とする現行案を条件付きで容認し、一時浮上したキャンプ・シュワブ陸上案に反対するため3月から休眠状態だった辺野古区の代替施設推進協議会は、「代替施設安全協議会」と名称変更し、6月12日に再出発。政府に対し、地元企業の優先受注などによる雇用促進、生活環境保全などを求める窓口的役割を果たし、移設を容認する住民の要求を最大限に反映させることを目指す。
米軍普天間飛行場の移設計画が名護市に降りかかって14年。新基地の受け入れか拒否かをめぐって市民は選挙のたびに踏み絵を踏まされ、家庭や地域、職場で深刻な対立やしこりを招いた。身内や友人の関係も切り裂き、賛否両派の板挟みに悩んだ住民の自殺未遂事件まで起きている。政府が投入する目のくらむような振興策は、拝金主義や格差を生み、地域の亀裂を一層複雑で根深いものにした。
政権交代や移設を拒否する市長の誕生によって、こうした積年の痛苦にようやく終止符が打たれるかと思われたのもつかの間、政府が移設先を「辺野古」に戻す決定を下したことで、再び「地元分断」の悪夢がよみがえりつつある。(敬称略)
(続「アメとムチ」取材班)
Posted by ミチさん at 00:06│Comments(0)
│反基地