2010年07月09日

沖縄は本土防衛のためにある 昔も今も

昨日紹介した「外交文書公開」について、琉球新報が今日の社説に取り上げました

       
外交文書公開 今に連なる沖縄の「犠牲」


 沖縄返還交渉に関する外交文書を外務省が公開した。これまで米側文書でしか目にすることができなかった交渉の舞台裏が、ようやく日本側資料で検証できるようになった。一歩前進と言える。

 とはいえ公務員が税金を使ってやったことを、税金の払い手である国民に報告するのは民主主義国では当たり前のことだ。今まで公開しなかった方がおかしい

 しかも今回、他省庁の抵抗で公開は延期となり、一部は対象から除かれた。官僚の病理はいまだ根深いと言わざるを得ない(※)。政府に公開意識の徹底を求めたい。

 今回の公開は、原則30年たてば外交文書を自動的に公開する新ルール適用の第1弾だ。1960年の日米安全保障条約改定と72年の沖縄返還交渉に関する文書ファイル37冊が対象となった。

 興味深い記述が散見される。中でも68年の外務省国際資料部調査課が作成した文書「わが国の安全保障について」は印象的だ。

 「わが国自体の安全からいえば、沖縄の住民の犠牲においてでも従来どおりの米軍の沖縄保有が当面のぞましかったのは疑いを容(い)れない」と述べている。「本土防衛の最終基地としての沖縄の活用という見地から(自衛隊の)配置が必要」との記述もある。

 日本の安全のため、沖縄を犠牲に供すると言ってはばからない。本土決戦の時間稼ぎのため、沖縄を「捨て石」にした沖縄戦の戦略そのままだ。

 米軍占領から本土を解放するため、米国に沖縄を差し出した51年のサンフランシスコ講和条約にも通じる。日米同盟の現状維持のため、本土が嫌がる米軍基地を沖縄に押し付ける今回の政府決定をみると、その精神は今に至るも貫かれていることが分かる。

 外務官僚の本音がこれほど露骨に示されるのはまれだ。沖縄側の今後の対処を考える上で参考になろう。すなわち、国の本音がそうであれば、沖縄は「犠牲」を拒否する。

 公開対象の文書は外務省内に残り2万2千冊ある。今後3~4年かけて公開するという。次はどんな本音が飛び出すか注目したい。

 不可解な米軍犯罪の処理の仕方、合理的とは思えない思いやり予算の由来も知りたい。公開すべき文書は法務省、財務省などほかにもあろう。現在の指針にするためにも過去の検証が求められる。(琉球新報7/9社説


(※)

沖縄は本土防衛のためにある 昔も今も 
(琉球新報7/8)



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Posted by ミチさん at 17:43│Comments(0)沖縄史
 
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