2010年06月15日
辺野古、「推進」看板 2ヶ月半ぶりに復活
息を吹き返した と思いたくないのですが・・・
3月末 こんなことがありました
そして先日 こうなりました
2005年に地元有志が結成した「普天間代替施設推進協議会」の看板を、
そもそもなぜ3月に撤去したのかというと、
「区民に政府案(当時はキャンプ・シュワブ陸上案)推進とみられたくない」ということでした。
四面楚歌はいまも変わっていません。
でも当時の宮城安秀・協議会会長は、「看板撤去は組織解散を意味しない」とも言っていました。
そして今月12日、協議会の名前を「代替施設安全協議会」と変えて、再び息を吹き返しました。
現在、推進派の中心的役割を果たしている許田正武・共同代表は、
「日米が辺野古で合意した。(基地が)どうせ来るなら地元が豊かにならなければ意味がない。政府と交渉する窓口が必要だ」と言い切った。
政府と交渉するのは名護市長であり、沖縄県知事であり、選挙で選ばれた代表者からなる議会であるはずで、地元のそれも住民の総意が反映もされていないひとつのグループが窓口になるとはどういうことか。
住民たちの間にクサビを打ち込んで分断しようとする政府側の常套手段がなぜ分からないのか。
移設予定地に近い名護市の久辺3区には辺野古、豊原、久志の3つの地区があるが、久志地区では同じ12日に「これまで通り、いかなる移設案にも反対」を全会一致で決議した。
辺野古地区、豊原地区は?
3月末 こんなことがありました
(沖縄タイムス3/29)
そして先日 こうなりました
(沖縄タイムス6/13)
いまや菅政権の頼みの綱 名護市切り崩しの要塞です
2005年に地元有志が結成した「普天間代替施設推進協議会」の看板を、
そもそもなぜ3月に撤去したのかというと、
「区民に政府案(当時はキャンプ・シュワブ陸上案)推進とみられたくない」ということでした。
四面楚歌はいまも変わっていません。
でも当時の宮城安秀・協議会会長は、「看板撤去は組織解散を意味しない」とも言っていました。
そして今月12日、協議会の名前を「代替施設安全協議会」と変えて、再び息を吹き返しました。
現在、推進派の中心的役割を果たしている許田正武・共同代表は、
「日米が辺野古で合意した。(基地が)どうせ来るなら地元が豊かにならなければ意味がない。政府と交渉する窓口が必要だ」と言い切った。
政府と交渉するのは名護市長であり、沖縄県知事であり、選挙で選ばれた代表者からなる議会であるはずで、地元のそれも住民の総意が反映もされていないひとつのグループが窓口になるとはどういうことか。
住民たちの間にクサビを打ち込んで分断しようとする政府側の常套手段がなぜ分からないのか。
移設予定地に近い名護市の久辺3区には辺野古、豊原、久志の3つの地区があるが、久志地区では同じ12日に「これまで通り、いかなる移設案にも反対」を全会一致で決議した。
(沖縄タイムス6/13、記事全文はコチラ)
辺野古地区、豊原地区は?
(沖縄タイムス6/14)
Posted by ミチさん at 21:37│Comments(2)
│反基地
この記事へのコメント
なかなか解決策が出ませんね・・・
Posted by 日記 at 2010年06月15日 21:40
>日記さん
はじめまして。コメントありがとうございました。
基地の移転もですが、
地域の中が、そこに住む人々の心と心が、ずたずたと分断される。
それを元通りにする真の解決策こそ大切にしていきたいと思います。
はじめまして。コメントありがとうございました。
基地の移転もですが、
地域の中が、そこに住む人々の心と心が、ずたずたと分断される。
それを元通りにする真の解決策こそ大切にしていきたいと思います。
Posted by ミチさん at 2010年06月16日 18:08