2010年06月12日
在沖米軍が深夜禁足令
(沖縄タイムス6/12)
W杯サッカーの写真の横に載っている、見落としそうな記事ですが、よく見てください。これも1面記事です。
読みづらいので再掲します。
在沖米軍が深夜禁足令
きょうから午前0時以降 基地外の酒場対象
在沖米4軍は11日、陸海空海兵隊すべての軍人を対象に午前0時以降、基地外のバーやクラブなどへの立ち入りを禁止すると発表した。12日から適用される。期限は示していない。軍属や家族には適用されない。名護市辺野古や金武などで米軍が行っている巡回指導の地域拡大も決定したが、場所は未定。外務省沖縄事務所が14日に開くワーキング・チームに、米4軍のほか県、県警、市町村、沖縄防衛局などが参加し、詳細を説明するとみられる。
在沖米軍トップである4軍調整官テリー・ロブリング中将は「公務外時間の方針修正は秩序や規範の向上を図り基地外での不祥事を減らすことが目的。最終的に地元の皆さまの信頼や信用、友好関係を再確認することができると信じている」とのコメントを出した。
仲井真弘多知事は「事件・事故が毎日のように出た時期はひどかった。(午前0時以降の飲酒禁止は)結構なことだが、来週のワーキングチームの開催でどうなるか、待ちたい」と評価を避けた。
3月には、名護市辺野古で米海軍兵が軍用車両でひき逃げ事件を起こしたほか、当て逃げや公務執行妨害事件など、飲酒絡みの事件・事故が多発していた。
沖縄にいるすべての軍人に対する綱紀粛正を在沖米軍トップが指示したのである。
よく読むと「午前0時になる前に酒を出す店から出ろ」というもので、基地外への外出禁止令ではない。それでも遅くまで町をうろつく酔っ払い兵は多少なりとも減るかもしれない。
これには前段がある。
6月10日、相次ぐ軍人らの犯罪多発に対して、東門沖縄市長と野国北谷町長がキャンプ瑞慶覧の在日米軍沖縄地域調整事務所に出向きケビン所長に抗議するとともに実効性のある再発防止策を求めたのだ。
(沖縄タイムス6/11)
もちろんこうした抗議はこれまでにも何回もしている。
しかし、米軍からこれほどすばやい反応がこれまであっただろうか。
翌日に新たな再発防止策が発表されたのだ。
沖縄のマグマが煮えたぎっているのを、日本政府と違って米軍首脳の方がよく分かっているようだ。
トップは分かっていても、トップから少し下になると何にも分かっていないのだが・・・
どれほど米軍人や軍属(軍関係者の家族)の犯罪が最近続発しているかを物語る記事が今朝も載っていたので紹介しよう。
今年に入ってからのタクシー強盗の実態だ。殺人にまではいたっていないが、何時殺されてもおかしくない。
(沖縄タイムス6/12)
この再発防止策に対して町の声はどうか?
(沖縄タイムス6/12)
酒を売る店は売り上げが下がると嘆き、タクシードライバーは寿命が延びたと喜ぶ(これで安心するほどの楽観主義者はいないが)。
立場が違えば人それぞれだね、チャンチャン。と終われるわけがない。
売り上げと身の危険をごちゃ混ぜに考えてはいけない。
仮に前者の人数が多く、後者の人数が少なかったとしても、
先ず手を打つべき優先順は明らかだろう。
実は基地問題も同じこと。
基地の誘致に対する容認派と反対派。
それぞれに引けぬ理由があることは分かるが、
どういう立場の人を優先的に考えるべきかをじっくりと考えないと、沖縄は一枚岩にはなれない。
― 続く ―
Posted by ミチさん at 22:38│Comments(1)
│反基地
この記事へのコメント
一番下に掲載した写真の記事についても、一言触れておきたい。
沖縄戦では、将兵の数より何倍も多くの民間人が犠牲になった。
ここでいう民間人の多くは非戦闘員だ。
けっして日本兵と共に勇敢に戦って戦死した人たちばかりでなく、殺される運命に抗した人たちも少なくない。
そんな人たちを「よく闘ってくれました。その労に報いるため靖国神社に兵隊さんたちと一緒に祭りましょう」と望んでもいないのに合祀されてしまった人たち。遺族はそういう形では祭ってほしくないと申し出ても、個人の勝手は許さない、と国は応じてくれない。何の権利があって国はそんなことを言うのだろうと国を相手に起こされた訴訟が、『沖縄靖国訴訟』だ。
以下記事を再掲する
戦争体験 裁判官が聴取 沖縄靖国訴訟、来月結審
靖国神社に肉親が祭られている沖縄戦の遺族ら5人が、同神社や国に合祀(ごうし)の取り消しや慰謝料を求めている訴訟で、那覇地裁の平田直人裁判長らが戦跡で原告の沖縄戦争体験者から聞き取りをする「現地進行協議」が11日、糸満市大度であった。終了後、次回7月20日の弁論での結審を確認した。
本島南部をさまよいながら避難した体験を証言したのは当時6歳だった原告の安谷屋昌一さん(70)=与那原町。同市大度の海岸の浅瀬を歩き、岩を上るなどして、戦時中にひと晩隠れたという洞穴に裁判官らを案内し、体験を語った。
説明後、安谷屋さんは「あの状況に放り込まれたらどう思うかを裁判官に感じてほしかった。戦争で死んだ家族が靖国神社に(英霊として)合祀され、軍国主義に利用されているのに怒りを感じる」と話した。
原告弁護団長の池宮城紀夫弁護士は「3人の裁判官に65年前の原告の戦争体験を追体験してもらい、沖縄戦の悲惨さや残酷さの理解を深めてもらえたと思う。子どもを含む民間人まで合祀する国の不条理性を訴え、われわれが証言してきたことが歴史認識に基づき、正しいものと感じさせることができたと確信している」と意義を強調した。
沖縄戦では、将兵の数より何倍も多くの民間人が犠牲になった。
ここでいう民間人の多くは非戦闘員だ。
けっして日本兵と共に勇敢に戦って戦死した人たちばかりでなく、殺される運命に抗した人たちも少なくない。
そんな人たちを「よく闘ってくれました。その労に報いるため靖国神社に兵隊さんたちと一緒に祭りましょう」と望んでもいないのに合祀されてしまった人たち。遺族はそういう形では祭ってほしくないと申し出ても、個人の勝手は許さない、と国は応じてくれない。何の権利があって国はそんなことを言うのだろうと国を相手に起こされた訴訟が、『沖縄靖国訴訟』だ。
以下記事を再掲する
戦争体験 裁判官が聴取 沖縄靖国訴訟、来月結審
靖国神社に肉親が祭られている沖縄戦の遺族ら5人が、同神社や国に合祀(ごうし)の取り消しや慰謝料を求めている訴訟で、那覇地裁の平田直人裁判長らが戦跡で原告の沖縄戦争体験者から聞き取りをする「現地進行協議」が11日、糸満市大度であった。終了後、次回7月20日の弁論での結審を確認した。
本島南部をさまよいながら避難した体験を証言したのは当時6歳だった原告の安谷屋昌一さん(70)=与那原町。同市大度の海岸の浅瀬を歩き、岩を上るなどして、戦時中にひと晩隠れたという洞穴に裁判官らを案内し、体験を語った。
説明後、安谷屋さんは「あの状況に放り込まれたらどう思うかを裁判官に感じてほしかった。戦争で死んだ家族が靖国神社に(英霊として)合祀され、軍国主義に利用されているのに怒りを感じる」と話した。
原告弁護団長の池宮城紀夫弁護士は「3人の裁判官に65年前の原告の戦争体験を追体験してもらい、沖縄戦の悲惨さや残酷さの理解を深めてもらえたと思う。子どもを含む民間人まで合祀する国の不条理性を訴え、われわれが証言してきたことが歴史認識に基づき、正しいものと感じさせることができたと確信している」と意義を強調した。
Posted by ミチさん
at 2010年06月12日 23:26
