2010年06月12日

今こそ社会運動の立て直しを!

昨日の世論調査で明らかになったように、民主主義政体を担うべき民意のある部分は、時々のちょっとしたことでころころと手のひらを簡単に返します。
そんな動向を目ざとく察知し、菅政権は選挙最優先モードにシフト替えしたようです。

こんな情勢だからこそ原点に戻って私たちは市民運動、社会運動を粘り強く進めることが大切だと田中優子さんは指摘されています。

共同通信企画の「現論」ですから他の地方紙(提携47紙)で読まれた方もおられるかもしれませんが、6月11日付の沖縄タイムス・琉球新報両紙に掲載された彼女の記事を紹介します。

今こそ社会運動の立て直しを! 
(沖縄タイムス、琉球新報6/11『現論』)


沖縄・安保・戦後を問う 

社会運動の立て直し必要

 鳩山由紀夫前首相による米軍普天間飛行場の移設問題の結論、そして退陣を見て、私は不思議な感覚にとらわれた。「もはや戦後ではない」と言われる時代に育ったはずなのに、いまだ戦後の米軍占領下の真っただ中にいるような気がしたのだ。

 沖縄本島に暮らす人たちは毎日、終わりのない戦中戦後の中でこの65年間を生きてきたに違いない。私はタイムマシンで過去に戻されたわけでなく、「もはや戦後ではない」という高度経済成長時代が幻だったのではないか、と思った。その証拠に、今の日本は借金大国である。

卑屈と傲慢
 家庭内暴力や弱者に暴力をふるう人間は外の世界でおとしめられ、自らの存在理由を発見できないものが多いという。日本人の沖縄への態度は、日本人が長い間米国に従属し、独立心と思想を持ち得なかった結果のような気がしてならない。民主党でさえ陥っている米国への卑屈さと沖縄への傲慢は何故なのか、私たちは戦後65年目でいよいよ、その根本理由に直面しなければならなくなっている。

 1879年、明治政府は軍事力で琉球に侵略し沖縄県とした。琉球は中国の冊封国であり薩摩に年貢を支払ってはいたが、他国に支配されることのない独立国だった。1879年の出来事は、近代国家日本による最初の植民地支配の一つであり、朝鮮半島などの植民地支配がそれに続く。

 日本が米英に宣戦布告して間もなく、米国は日本の敗戦を見越して沖縄を含む植民地の分配を計画していたという。結果的に、ポツダム宣言受諾とともに日本は米国の軍事体制に組み込まれ、沖縄返還(これもおかしな言葉だが)後もそれは強化され続けた。

 憲法9条は戦力の不保持を明記し、日米安全保障条約の第5条は、日本領域における武力攻撃が「自国の平和及び安全を危うくする」場合に共同して対処する、と書かれている。しかし今や自衛隊は日本領域どころか、税金を使ってどこへでも出かけて行く。抑止力には軍事でない抑止力があり、同盟には軍事でない同盟があるはずが、すべて軍事にすりかえる。法的根拠がないから「思いやり予算」と名付けた軍事目的の在日米軍駐留経費負担は、平均年額約2千億円になる。

 選挙による政党政治には限界がある。内閣府参与となった湯浅誠氏は雑誌「世界」6月号で社会運動と政権の関係に言及し、妥協の産物としての政策を「政府の判断」としか見なければ、人々は裏切られた感覚を持つであろう、と書いた。そのとおりだ。裏切られている。しかしそれは政府の主体性の過大評価であり、社会運動の弱さの反映である、と続ける。そして複雑で困難で厄介な方法であっても、政党からの自律性をもった社会運動が不可欠だ、という。

一 揆
 植民地差別のもとに65年間も膠着してしまった基地問題を動かすには、確かに社会運動が必要だ。人々の安全が脅かされた場合、江戸時代なら一揆が爆発した。一揆は平等観念による是正要求であり、テロではない。自らの社会的な役割に自覚的な農民たちだからこそ、その役割を果たすために、社会は直されなければならなかったのだ。

 沢登寛聡著「江戸時代自治文化史論」(法政大学出版局)は、一揆を自治の歴史ととらえていて興味深い。その社会的正義観念は祭りの多様な要素の一部として現象するのだとして、一揆と祭りの深いかかわりを分析している。それは、共同体の生活と自然との関係の中で、繰り返し確認されてきた人知を超えた平等観念に基づいている。現代人は個がばらばらに生活していて共同体を持たない。そういう時代に社会運動を継続するには何が必要なのか。これは沖縄だけのことを言っているのではない。基地問題はもはや全国の問題なのだ。

 所詮まだ「戦後」であるなら、私たちはいったん1960年まで戻ってみるべきだろう。基地問題の本質は日米安保条約である。1960年の国会では延長も破棄も解消も議論され、学生たちも真剣に考えた。「言ったことを守らない」と民主党を責めるばかりで安保については何も議論しない現代とは大違いだ。継続的な社会運動に立て直しこそ、「戦後」を終結させる突破口なのではないか。(田中優子・法政大教授)



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Posted by ミチさん at 01:15│Comments(2)反基地
この記事へのコメント
田中優子さんの見解に賛同します。「イギリスの革命にはアイルランドの独立が不可欠だ」とマルクスが達観(マルクスだったと思うが間違っていたら
御免なさい)したようにこの国の変革の為には沖縄人民の反基地と独立=自治権確立の大衆闘争が不可欠と思います。そして、日本全国の米軍基地のある自治体住民やその他の運動体がかっての全共闘運動の如く反米独立統一戦線を結成して事にあたるべきと考えます。
Posted by 加藤和博 at 2010年06月22日 13:48
>加藤和博さん
書き込みありがとうございました。
沖縄から見ると、日本の国のいびつさがよくわかります。
「沖縄から日本を変える」
「日本の市民たちこそ“自己決定権の確立を!”」
「日本が先ず“真の主権国家としての独立を!」
これが私のスタンスです

そんな牽引役を沖縄が果たせたらいいな
Posted by ミチさんミチさん at 2010年06月22日 23:55
 
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