2009年11月11日

11.8県民大会 琉球新報はどう伝えたか

県民大会の当日と翌日の琉球新報社説です(太字等はブログ管理者の編集による)

琉球新報11/8社説  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-152487-storytopic-11.html
  
普天間県民大会 確かな「総意」を示そう

「県外・国外」は新政権の義務


 最初のSACO合意から14年が過ぎ、長引く米軍普天間飛行場移設問題に、日米両政府ばかりか、米軍内部にも焦りと限界が見えてきた。日米安保は、あまりに沖縄に基地を集中させ、犠牲を強い続けてきた。その付けが、いま日米同盟と安保の根幹を蝕(むしば)んでいる。

 沖縄にこれ以上過重な基地を負わせ続けるのはもはや限界であり、危険ですらある。

 きょう、普天間問題で「辺野古への新基地建設と県内移設に反対する県民大会」が宜野湾海浜公園で開かれる。一つの確かな県民意思が、そこで示される。鳩山由紀夫首相がいう「県民総意」と真剣に向き合う時だ。

【米軍の中に焦りと限界】
 鳩山首相は県内たらい回しをやめ、公約の義務を果たすべきだ。

 普天間問題のこじれは、米軍内部にも深刻な変化を生んでいる。米国政治に詳しい米ニュージャージー州在住の作家、冷泉彰彦さんは「沖縄問題、三つの非対称性」と題し、普天間、日米地位協定、在沖米軍の存在意義―の三つの問題で日米間に認識の格差=非対称性を指摘している。

 普天間問題は、米国にとって「米軍の抑止力」という政権交代に関係なく軍事外交方針として選択の余地のない「小さな実務的、テクニカルにすぎる問題」だが、日本にとっては「全国レベルの争点」「国論を二分しかねない大問題」との認識の格差があるという。

 だが、そんな小さな実務的・テクニカルな問題のこじれが在沖米軍の基礎訓練や演習への沖縄県民の強烈な反発や反対を招き、沖縄駐留の「危機」という深刻な問題に発展している。そのことがゲーツ米国防長官ら米高官の最近の対日強硬発言につながっている。

 駐留軍兵士の「士気」の低下を冷泉さんも強調している。1995年の少女乱暴事件で東京とワシントンから在沖米軍には綱紀粛正のプレッシャーが掛かり、その流れで普天間返還合意となった。

 だが、その後起きた米軍ヘリ沖国大墜落事故で、負傷した米兵らは同情どころか日本から訴追され、散々非難された。名護市の辺野古沖に移設が合意されても、今度は環境問題と選挙。既に駐留軍は「俺(おれ)たちの存在意義をこの島の人は認めていない」という違和感、「基地の外に出るのが怖い」「他の任地へ早く異動したい」との感情に苛(さいな)まれているという。

 地位協定問題は日本にとって犯罪米兵の裁判権など「治外法権」と不平等解消の問題だが、米側にとっては弁護士の立ち会いも認めず未決囚の拘置環境も劣悪な日本の司法制度から「部下の人権を守る」措置との非対称性がある。

 日米間の究極の非対称性は「在沖米軍基地廃止論」と「自主防衛論」のはざまで揺れる日本と、自主防衛論や非武装論を警戒し実務的な現状維持を強く望む米側との認識の落差にある。

【県内強行は安保を危機に】
 突き詰めると沖縄の米軍基地を廃止すれば自主防衛・核武装という「高コストで危険な安保」を背負わねばならないという「究極の選択」に怯(おび)え続けてきた戦後日本政治の限界が透けてくる。

 戦後政治の大半を支配した自民党政権が怯えた究極の選択を前に、鳩山新政権も萎縮(いしゅく)し判断停止に陥っている。

 だからこそ普天間の「県外・国外移転」を公約に掲げながら嘉手納統合案や辺野古沖という対米追従の自民路線の継承に傾いている。

 鳩山新政権の背信行為は、自民党政権ですら挑んだ北海道や岩国、厚木、横田、グアムなど県外・国外移転の調査・検討もなく「県内移設」を打ち出していることだ。

 戦後64年間、沖縄県民は絶えることのない米兵犯罪の犠牲、演習・爆音被害に耐え、救いを求めながら、十分すぎるほどに基地の重圧を背負い続けてきた。そんな沖縄の過重負担を軽減すると鳩山首相は約束したはずだ。

 普天間を県外に移設しても、在日米軍の専用施設の70%以上が沖縄には依然として残る。

 県内移設の強行は、県民の反軍・反基地感情を高め、日米安保の安定的運用すら困難を極める。

 県民は、安保の沖縄への過重依存や「米軍基地問題の沖縄封じ込め」という“差別”政策の転換を政権交代に期待した。鳩山首相に県民が求めているのは、首相自らが約束した普天間の県外・国外移設の実現という誠意だ。



琉球新報11/9社説
  http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-152523-storytopic-11.html
  
沖縄のうねり
軍事偏重安保の転機だ 「聖域なき変革」は首相の使命
 
鳩山内閣や与野党国会議員、国民に、米軍基地の過重負担にあえぐ県民の悲痛な叫び、新基地強要に対する怒りは伝わっただろうか。

 8日の新基地建設に反対する県民大会に大勢の人々が詰め掛け、米軍普天間飛行場の即時閉鎖・返還と、名護市辺野古沿岸への移設反対を訴えた。

 嘉手納統合案に反対する嘉手納町民大会にも幅広い年代が集い「我慢の限界」を訴えた。爆音被害や基地負担増加を明確に拒否した。

【「反米」ではない民意】
 県民大会には、伊波洋一宜野湾市長や翁長雄志那覇市長らが保革のしがらみを超え「県民党」的立場で参集。日米合意後13年も動かぬ普天間の「県内移設反対」を確認した意義は大きい。

 普天間移設をめぐり日米合意とと民意が衝突する局面がしばらく続きそうだが、迷走する鳩山内閣は県民の声をしっかり受け止めてほしい。「県内移設反対」の民意を軽んじれば、日米関係への不信感が増幅するだろう。

 鳩山首相は対米追従と批判されてきた戦後日本外交と一線を画し、「緊密で対等な日米同盟関係」の構築に向けてどう指導力を発揮していくか。民意を尊重しどう打開策を探るか、米側の恫喝(どうかつ)外交にどう対処するか、胆力が試される。

 本紙には県内外から基地問題で投書やメールが数多く寄せられている。内容は普天間飛行場の即時撤去を主張するものから、東アジアの安定に果たす米軍基地の役割に理解を示す声までさまざまだ。

 沖縄戦や異民族統治の経験から県民には「反軍・反基地」感情が根強い。度重なる米軍絡みの事件・事故、米兵犯罪で「嫌米」感情がしばしば高まるのも事実だ。しかし、県民は人命、人権を脅かす基地を否定しているのであり、決して「反米」ではない。日米両政府は、沖縄の世論のうねりを読み違えてはならない。

 衆院選期間中の主張や選挙公約と裏腹に、鳩山民主党が安易に「県外・国外」の対米交渉を回避すれば、県民の失望、落胆は計り知れないものとなるだろう。

 鳩山首相や、オバマ米大統領には、戦後沖縄の苦難の歩みに思いをはせてほしい。なぜ「安保」の名の下で、県民は生命の安全、平穏な暮らし、財産を脅かされ続けなければならないのか。米軍統治下でもないのに県民は、いまだに基本的人権を保障する日本国憲法の、蚊帳の外の存在なのか。

 嘉手納町民大会で意見発表した嘉手納高校の新城武士君は「僕たちはそんなに大きなことを望んでいるわけではありません。普通に授業が受けたい、普通に部活動をしたい、普通に静かな嘉手納町で暮らしたい」と訴えた。こんなささやかな要求さえ認めぬ国家なら、もはや国家の体をなしていない。

 ゲーツ米国防長官が普天間移設が実現しなければ、在沖米海兵隊グアム移転や嘉手納基地より南の基地返還も白紙に戻ると述べるなど、米側の対日圧力は強まるばかりだ。

【“砂上の楼閣”と化す危険】
 この国の官僚は、辺野古移設の日米合意を蒸し返せば「日米同盟の根幹が揺らぐ」と危機感を強めている。しかし、日米関係を本当に危うくしているのは誰か。

 普天間飛行場の県外・国外移設や在沖米海兵隊の削減・撤退などにより基地負担を軽減することが、長期的には日米両政府への信頼を回復し、日米関係を強固にする。国民の支持基盤が弱いまま日米関係を放置すれば、いずれ日米同盟も“砂上の楼閣”と化すだろう。

 米兵少女乱暴事件を受けて1995年に開催された10・21県民大会以来、基地の整理縮小はすべての県民の願いだ。当時の大田昌秀知事は、日米安保が大切と言うなら、その負担を国民全体で分かち合うべきだと繰り返し提起した。

 政治家も国民も、普天間移設・返還問題と真剣に向き合い、沖縄県民と負担を分かち合ってきただろうか。答えは「否」である。

 普天間飛行場の移設受け入れの用意がないなら、せめて国外移設の実現に努力するのが筋ではないか。こうした努力なしに基地を沖縄に押し付けるのは社会正義に反し、差別以外の何ものでもない。

 県民は、希望を捨ててはいない。首相は、軍事偏重の日米安保関係に対して「聖域なき変革」を挑むべきだ。国際協調や「核なき世界」の実現を掲げるオバマ米大統領と共に、未来を見据え、歴史的使命感をもって難局に立ち向かってもらいたい。




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Posted by ミチさん at 23:40│Comments(0)反基地
 
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