2013年03月09日

4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ

琉球朝日放送のニュース映像(動画)
2013.03.08 4月28日「屈辱の日」 政府の「主権回復の日」に反発の声

2013.03.07 政府「主権回復の日」式典開催


4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ 
(琉球新報3/8、記事原文はこちら



4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ 
(琉球新報3/8)



4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ 
(琉球新報3/9、記事原文はこちら



4月28日「沖縄屈辱の日」に式典 首相「独立認識する日」だとさ 
(琉球新報3/9)



琉球新報3/9社説 「主権回復の日」 「屈辱」続いて独立国か
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「主権回復の日」 「屈辱」続いて独立国か

 これも“安倍カラー”ということか。サンフランシスコ講和条約が発効した1952年4月28日を「主権回復の日」とし、今年から政府主催の式典を開くという。

 「主権を失っていた7年間の占領期間があったことを知らない若い人が増えている。日本の独立を認識する節目の日だ」

 安倍晋三首相は式典開催の意図をこう説明した。国を憂える政治家として面目躍如たる思いだっただろうか。

 しかし脳裏のどこにも、沖縄にとってその日が「屈辱の日」であることは浮かばなかったようだ。

 日本が「主権」を回復したその後も、米軍占領下に置かれて「屈辱の日々」を送り、72年の「日本復帰」後も過重な基地負担を強いられ「沖縄に主権は及ばないのか」と訴えてきた県民は、首相の言う「美しい国」の国民ではないということなのだろうか。

 しかしその、沖縄を切り離して回復したはずの日本の「主権」は今どうなっているのか。

 米海兵隊の新型輸送機オスプレイは「美しい国」の上空も飛行し始めた。いまや「日本の沖縄化」の指摘も聞こえてくる。外国軍機が飛び交う現実を前に、これが主権ある独立国家の姿だと、誇りを持って言えるのか。

 2004年の米軍ヘリ沖国大墜落事故の際には、県警が米軍に締め出されて現場に近寄れないという主客転倒の事態まで起きた。

 米軍普天間飛行場移設問題やオスプレイの配備強行に象徴されるように、日本政府の対米追従姿勢はあまりにふがいない。「4・28」後の日本の実態は「従属の日々」なのではないかとさえ思える。

 基地の過重負担の中で、県民の「反基地」感情は根強いが、決して「反米」ではない。戦後米国に留学し、米国流の民主主義を学んだ人も多い。コザ(現沖縄市)に代表される戦後文化も、沖縄の豊かな歴史文化の一部として、県民は建設的に受け止めている。

 その上で「4・28」を「屈辱の日」と捉え、基地の過重負担の解消を求めているのだと、あらためて指摘したい。

 「4・28」が風化しているのであれば、首相はその功罪について国民にきちんと説明すべきだ。

 沖縄の「屈辱」に触れずに「主権回復」を祝おうというのなら、県民にとってそれは、過重負担を強いる「構造的差別」の深化を再認識する日でしかない。
(琉球新報3/9社説、記事原文はこちら


沖縄タイムス3/9社説 [「4・28」政府式典] 2度目の「屈辱の日」  
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[「4・28」政府式典] 2度目の「屈辱の日」

 安倍晋三首相は、7日の衆院予算委員会で、サンフランシスコ平和条約(対日講和条約)が発効した4月28日を「主権回復の日」と位置づけ、政府主催の式典を開く考えを明らかにした。

 講和条約は1951年9月8日に調印され、翌52年4月28日に発効した。敗戦に打ちひしがれた本土の国民の多くが主権の回復を歓迎し、お祭りムードに浸ったのは歴史的事実である。

 だが、講和条約には別の側面があることを忘れてはならない。第3条によって北緯29度以南の奄美、沖縄、小笠原が日本から分離され、日本の独立と引き換えに米国の施政権の下に置かれたのである。

 奄美の人々は郡民大会や断食祈願、復帰陳情などを繰り返し、条約が発効した4月28日には弔旗を掲げて抗議した。沖縄の人々はこの日を「屈辱の日」と呼んだ。

 民間の式典であればとやかく言うつもりはないが、県民が「屈辱の日」と位置づけてきた4月28日を政府主催で祝うとなると、話は別だ。

 政府が講和条約を祝うことは、27年に及ぶ米軍統治によって県民が受けた有形無形のさまざまな犠牲や被害を無視することを意味する。

 米軍普天間飛行場の辺野古移設やオスプレイの強行配備をめぐって本土と沖縄の間に深刻な溝が生じているこの時期に政府が「4・28」式典を強行すれば、政府との関係改善はさらに遠のき、不信感だけが広がることになるだろう。安倍首相には強く再考を求めたい。

    ■    ■

 琉球警察は米兵に対する逮捕権も捜査権ももっていなかった。現行犯に限って民警察による逮捕が認められたが、身柄は米軍に引き渡され、軍法会議で無罪となるケースも少なくなかった。

 上山中学校の国場秀夫君(当時13歳)は63年2月、青信号の横断歩道を横断中、信号を無視して突っ込んできた米軍トラックにはねられ、即死した。今年は事故発生から50年に当たる。加害者の米兵が軍法会議で無罪になったことが、無念の思いと共に、今も県民の記憶から消えない。

 戦後68年の間に発生した米軍の事件・事故は、数え上げたらきりがない。

 戦後沖縄の軍事要塞(ようさい)化は米軍による排他的統治によって可能になったものだ。

 「4・28」が主権回復の日であるというのは、沖縄を除いたときに言えることであって、沖縄にとっては、主権が事実上失われ、行使できなくなった日なのである。

    ■    ■

 沖縄の半主権的状態は今も続いている。沖縄国際大学に米軍ヘリが墜落したときの、地元警察、地元消防を排除した米軍の現場検証と機体押収がその典型例だ。

 米軍は、基地運用について政府の介入を許さない排他的管理権を持っている。国内法の適用が大幅に制限され、その結果、住民の権利が脅かされている現実は、半主権状態というほかない。

 この際、「4・28」を沖縄の戦後史と基地負担を考える日と位置づけてはどうだろうか。首相に提案したい。
(沖縄タイムス3/9社説、記事原文はこちら



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2010.04.29 4・28沖縄デー(「屈辱の日」)  「切り捨て」の発想改めよ





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