2012年11月14日
時代錯誤か確信犯か 占領意識丸出しの「米軍警告板」
(沖縄タイムス11/14、記事原文はこちら)
沖縄タイムス11/14 警告板撤去:市民「政府も怠慢」
(沖縄タイムス11/13、記事原文はこちら)
(沖縄タイムス11/13)
(琉球新報11/14)
(琉球新報11/14)
沖縄タイムス11/14社説 [米軍警告板] 基地の維持策は限界だ
[米軍警告板] 基地の維持策は限界だ
13日朝、本紙を読んで、首をかしげた読者も多かったに違いない。米軍普天間飛行場の野嵩ゲート前に掲げられていた警告板のことだ。
午後の衆院予算委員会で玄葉光一郎外相は、この警告板に「不適切な面がある」ことをあっさり認め、日本側の申し入れでその日に看板が撤去されたことを明らかにした。
米軍のチョンボと言えばその通りかもしれない。でも、この問題は、単なる不手際だと言って済ますことのできない要素を含んでいる。
米軍基地の金網に掲示されている警告板は、日本語と英語で「無断で立ち入ることはできません。違反者は日本の法律によって罰せられます」と書かれているのが普通だ。日本の法律とは刑事特別法(刑特法)のことである。同法は、正当な理由がないのに基地内の立ち入り禁止区域に入ることを禁じている。
ところが、オスプレイ配備反対の抗議行動が続く野嵩ゲート前に10月から掲げられた警告板は、違っていた。
「制限区域につき関係者以外立ち入り禁止」「許可を得て立ち入る者は所持品検査に同意したものとする」とあり、根拠法として「合衆国法797号」と明記されていた。
合衆国法とは、マッカーシズム(赤狩り)が吹き荒れた時期に制定された「国内保安法」のことだ。
悪名高い米国の治安法を振りかざし、日本の抗議行動をけん制していたのである。主権侵害の軽率行為だ。
警告板は撤去されたが、この騒動が期せずして浮かび上がらせた問題の根は深い。
■ ■
1983年に埼玉県の大和田通信基地で、同じ警告板が表示され、国会で問題になった。同年3月の衆院外務委員会で政府委員は「本来わが国にある施設、区域内で使用されるべきものではない」と答弁している。なのに、また同じことが起きてしまった。問題の背景を3点指摘したい。
第一に、人口の増加と都市化、住宅地域の拡大が進み、米軍基地の存在がさまざまな面で足かせになっている。宜野湾市の人口密度を見れば、深刻さは一目瞭(りょう)然だ。
第二に、在日米軍兵力のおよそ7割が沖縄に集中する結果、地位協定がらみの事件事故が頻発し、住民の平穏な暮らしが日常的に脅かされている。
第三に、沖縄には、憲法と国内法のほかに地位協定、基地内で米軍構成員に適用される連邦法と州法などが入り組んで存在し、これらの法律の適用境界をめぐって日常的に摩擦を生じさせている。
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以上の3点が複雑に絡み合い、深刻な問題を引き起こしているのは、世界でも沖縄だけだ。もはや沖縄の米軍基地は現状のままでは持続不可能である。
米軍担当者が米国の国内保安法を持ち出して抗議行動をけん制したということは基地をめぐる矛盾やあつれきが深まってきたことを意味する。
復帰前の「コザ暴動」を思い起こし、矛盾やあつれきの行き着く先を想像してほしい。政府は沖縄の現実に目をつぶって「同盟深化」などというべきではない。
(沖縄タイムス11/14社説、記事原文はこちら)
11/15追記
琉球新報11/15社説 米国法で警告板 時代錯誤甚だしい悪法適用
米国法で警告板 時代錯誤甚だしい悪法適用
沖縄戦で多くの米兵が犠牲となり、血であがなった島を今も占領地とみなしているのだろうか。
軍事を最優先する米国の独善がくっきり表れ、基地に抗(あらが)う県民を排撃する本音がさらけ出された。
在沖米海兵隊が普天間飛行場の野嵩ゲート前で立ち入りを禁じる警告板を設置し、「米国国内治安維持法」を根拠にしていた。
設置は、海兵隊のオスプレイが配備された10月1日だった。ゲート封鎖を試みる市民の体を張った抗議が強まり、厳戒態勢が敷かれた日である。
「制限区域につき、関係者以外立ち入り禁止」「許可を得て立ち入る者は所持品検査に同意したものとする」と記し、根拠法に「合衆国法797号」を挙げていた。
これこそ、悪名高い米国の治安法だ。共産主義者を容赦なく排除する「赤狩り」が吹き荒れた1950年に制定された。
反共の色が濃く、言論や思想・信条の自由を縛る危うさが指摘され、反対の声が噴き出した。連邦最高裁が93年に違憲判決を下し、主要な条文が削除されている。
この悪法を今日の沖縄に適用するとは、時代錯誤も甚だしい。その目的は、県民との摩擦がかつてなく強まったことに自衛意識を働かせ、オスプレイ配備に猛反発する県民を威圧することだろう。
日本の主権を飛び越えて、世紀の悪法を臆面もなく掲示する無神経さにあぜんとする
。
外務省が「不適切」と申し入れ、警告板が撤去されたのは当然だが、本来であれば、主権侵害に強く抗議すべきだ。対応が甘い。
基地をめぐる米国と沖縄の埋め難い溝を照らし出した問題を、海兵隊の単なる手違いと片付けるわけにはいかない。その核心には、米国に染み付いた沖縄観がある。
ケビン・メア米国務省日本部長が「沖縄はゆすりの名人で怠惰」などの暴言を放ち、更迭されたことは記憶に新しい。県民が基地押し付けにどれだけ異議を唱えても、強硬姿勢で押せば、組み敷くことができるという不遜な態度は、米国と軍のゆがんだ沖縄観を投影していよう。
米軍は「良き隣人」政策を掲げ、県民と親善を深めたいと強調する。その取り組みに携わる在沖米総領事館は一体何をしているのか。都合の良い情報だけを本国に送り、県民感情の深層に背を向けてばかりいるから、このような騒動を招く。米外交は軍の言いなりなのか。
(琉球新報11/15社説、記事原文はこちら)
Posted by ミチさん at 23:43│Comments(0)
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