2012年05月31日
沖縄戦没者遺骨のDNA鑑定、9年間でわずか28件
遺骨を家族のもとに返すことは国の責務だ
(琉球新報5/31、記事原文はこちら)
(沖縄タイムス5/28、記事原文はこちら)
【関連する日記アーカイブ】
2011.03.05 具志堅隆松さん、沖縄遺骨収集に吉川英治文化賞
2011.07.09 沖縄戦遺骨 国がDNA鑑定へ
6/5追記
(沖縄タイムス6/5、記事原文はこちら)
琉球新報6/3社説 戦没者DNA鑑定 最後の一柱まで誠意示せ
戦没者DNA鑑定 最後の一柱まで誠意示せ
厚生労働省が2003年度から実施している戦没者遺骨のDNA鑑定で11年度までの9年間で総鑑定数1550件のうち、県内で収骨されて鑑定された事例は28件にとどまる。小さな島で約20万人が亡くなったのにもかかわらず、この数字は意外にも受け取れる。
高温多湿な南方地域はDNA抽出が難しい面もあるが、それ以前に国が遺族に対し積極的に情報提供し、働き掛けていない結果とも言えよう。
遺骨収集と身元確認は国の責務だ。これまで以上に情報提供を徹底し、DNA鑑定を生かし、遺骨を遺族に返すよう取り組むべきだ。
戦没者の遺骨は従来、本人を特定する遺品が一緒に埋葬されている場合や、埋葬図と埋葬状況が一致するなどの条件を満たさなければ、身元不明と判断されていた。そのため、身元が分かる事例はごく一部に限られている。
DNA鑑定は、遺骨を探す遺族にとっていちるの望みとも言える。しかし、多くの住民が犠牲になった沖縄ではDNA鑑定のハードルは高いと言わざるを得ない。
鑑定の条件は
(1)戦没者や遺族を推定できる死亡者名簿などの記録資料
(2)遺族からの検体提供
(3)鑑定に有効な遺骨のDNA抽出―の三つだ。
沖縄戦では米軍の攻撃を避けながら夜間、ガマからガマへと逃げ惑った。どこで肉親を亡くしたのか分からない遺族も多い。地上戦で全てを焼かれた沖縄では、記録資料など望むべくもない。条件を満たすことは難しい。
しかし、それでも見つかった遺骨からDNAを抽出し、データとして蓄積する必要がある。その上で、国はDNA鑑定について周知し、希望する遺族から検体を提供してもらい、身元確認に手を尽くすべきだ。それが誤った国策によって大勢の住民に犠牲を強いた国の責務ではないか。何よりも先にやるべき戦後処理だ。
DNAは水分と高温で壊れやすく、沖縄では条件が悪い。しかし歯などからは比較的抽出しやすいという。沖縄で唯一、身元が分かった事例も、近くにあった万年筆を手掛かりに、歯からDNAを抽出した。可能性があるなら取り組むべきだ。
遺族にはもう時間がない。県内では、今も年間100柱前後の遺骨が見つかる。何万、何十万という数には上らず、決して難しいことではなかろう。国は、誠意を示してほしい。最後の一柱まで。
(琉球新報6/3社説、記事原文はこちら)
6/10追記
DNA鑑定 国は戦没者遺骨について、DNA検体が採取できる個体数がある遺骨、身元特定の手掛かりとなる遺留品や証言があること、遺族からの申し出の条件がそろえば、国費でDNA鑑定を行う。
(沖縄タイムス6/8)
(沖縄タイムス6/9)
6/10追記
(沖縄タイムス6/10)
6/12追記
(沖縄タイムス6/12)
(沖縄タイムス6/12、記事原文はこちら)
6/14追記
(沖縄タイムス6/13、記事原文はこちら)
6/22追記
(沖縄タイムス6/22)
琉球朝日放送6/22 語り継ぐ沖縄戦2012(4) 沖縄戦の遺骨 DNA鑑定で遺族の元へ
7/13追記
(琉球新報7/13、記事原文はこちら)
琉球朝日放送のニュース映像(動画)
2012.07.12 〝ガマフヤー〟国に要請 「遺族のDNA鑑定を」
7/29追記
(沖縄タイムス7/28)
(沖縄タイムス7/27、記事原文はこちら)
2014.6/11追記
(沖縄タイムス2014.6/11、記事原文はこちら)
Posted by ミチさん at 11:35│Comments(0)
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