2012年04月24日 14:50
[米軍再編見直し]「普天間返還」が原点だ
あの熱気はどこへ行ってしまったのだろう。
潮が引いていくように国民の関心が薄れ、新たな解決策を模索すべき政治家にも無力感や徒労感が広がっている。
沖縄の負担軽減を是が非でも実現しなければならないという国民の声も、残念ながらその水位が急速に下がってしまった印象だ。
日米両政府による米軍再編の見直し協議は、普天間問題の新たな解決策を打ち出す絶好の機会である。今が大きなチャンスなのに、野田内閣からは、辺野古移設の見直しを求める強い意志が少しも伝わってこない。
1996年の返還合意以来、16年も漂流を続けている米軍普天間飛行場の移設問題は、どこに向かおうとしているのだろうか。
普天間問題は今、二度目の大きな転換点を迎えている。今回の米軍再編見直しによって、日米合意は「二度死んだ」といえる。
1回目は、96年12月の日米特別行動委員会(SACO)合意が、同時多発テロ後の米軍再編の中で反古(ほご)にされた時だ。
2005年6月、リチャード・ローレス国防副次官は日本側との協議の席で、こう語ったという。「ヘノコ・イズ・デッド」(辺野古案は死んだ)。
翌06年5月、「SACO合意」に基づく海上基地案は正式に葬り去られ、「米軍再編合意」に基づく辺野古案が新たに打ち出された。この二つは、似て非なるものだ。
そして今回。「米軍再編合意」に基づく辺野古案も立ち行かなくなり、大幅な見直しを迫られることになった。
米軍再編合意は「2014年までの(代替施設の)完成」を目標に掲げた。
辺野古案が暗礁に乗り上げたため、普天間の返還時期は後退し、昨年6月の日米合意では「できる限り早い時期に」というあいまいな表現に変わった。
SACO合意に盛り込まれた「5~7年以内」の返還からすれば、後退に後退を重ねてきたことがわかる。
そして、今回の米軍再編見直し協議の中で、米国側は、18~19年度に普天間飛行場滑走路の大幅な改修工事を実施する計画であることを明らかにした。
公式には辺野古案を堅持しつつ、今後も普天間を使い続けるという虫のいい話だ。
嘉手納基地より南の施設を、普天間の辺野古移設と関係なく先行的に返還するのはいい。だが、肝心の普天間返還が遠のくことになれば、本末転倒である。
世界で最も危険だと言われる普天間飛行場の一日も早い返還こそ問題の原点である。
沖縄を訪れたクリントン米大統領も橋本龍太郎首相も沖縄の基地負担軽減に熱心だった。橋本首相は大田昌秀知事と17回も会っている。一国の総理と一県知事がこれほど頻繁に面会するのは極めて異例のことだ。
だが、時とともに初発の志が失われ、実質の伴わない「フタンケイゲン」という言葉が日米双方で空しく飛び交っている。今こそ原点に立ち返るべきだ。
(沖縄タイムス4/24社説、記事原文はコチラ)