2011年12月23日 21:03
米軍用地 自衛隊共同使用を構想
本土復帰に伴う自衛隊の沖縄配備に関連し、当時の防衛庁が当初、米軍基地を日米地位協定に基づき共同使用する形で必要な施設や訓練場を確保する構想を持っていたことが、22日公開された日本の外交文書で確認された。
1971年5月4日付「秘」文書で防衛庁のこうした基本姿勢が記載され、同月28日付「極秘」文書では同庁が、これを確認した上で、想定される共同使用施設としてブルービーチ訓練場(金武町)など12施設・8空水域を列挙していた。
理由は明らかでないが、付属文書中には米軍那覇ホイール地区(現在那覇駐屯地)が返還されると同地区の一角を占める気象庁用地利用が難しくなりかねないので共同使用で確保する、との記述があり、共同訓練など日米連携のためより米軍を口実に用地取得を容易にする意図があったようだ。
こうした共同使用が米側に実際に提起されたかなどその後の経緯は今回公開された文書には含まれていない。実際には共同使用は行われず、米軍が使用解除した一部用地を引き継ぐ形で自衛隊施設が確保された。(沖縄タイムス12/23)
公開時に抜き取りか我部政明・琉球大学国際沖縄研究所所長
沖縄返還に伴う密約とは、大きく二つからなる。核に関すること。核兵器の所在については「否定も肯定もしない(NDNC)」政策にもかかわらず、施政権返還の1972年まで沖縄に米国の核兵器が配備・貯蔵されてきたことは当時から知られていた。ロジャーズ国務長官が、71年19月27日の上院外交委員会の聴聞会にて「沖縄返還後には核は撤去される」と述べ、返還時までは沖縄への核配備が続くと確認された。公開の聴聞会での発言は即座に報道され、米政府が沖縄への核配備を認めたときとなった。
当時、外務省が米国議会での沖縄返還協定の批准審議に関心を寄せていたのは言うまでもない。公開された外務省の記録には、外交、軍事、予算などの上院や下院の各委員会が開催した聴聞会で、返還協定にかかわった米国務省や国防省、軍の責任者らの発言を聞きとって文字にして東京へ送られた公電が含まれている。核兵器について同国務長官は、先の公聴会で前日に「委員会理事会(公電では「秘密の聴聞会」と呼ぶ)の場では話す用意がある」の書簡を送ったと発言した。
それに続く極秘の公電は、国務省のエリクソン日本部長から聞いたこととして、以下のように記す。核の撤去については「本件は、機密に属するので、外部に対しその内容を明かすわけにはいかない」と話した。その公電は、続く2頁目が抜け落ちている。いつの時点でその頁が抜き取られていたのかは分からない。もし、今回の公開に際して抜いたとすれば、外務省の文書公開そのものが疑わしくなる。
財政密約について、返還協定に明記されている3億2千万ドルの米側への支払額に、米国が負担すべき復元補償費400万ドルやVOAの国外移転費1億6千万ドルを盛り込んだことはよく知られている。これに加えて、69年11月に日本は米軍基地の施設改善のための財政負担を約束していた。返還協定とは別途に日本政府が「物品・役務」で支払うとした6500万ドルが、今回の公開文書に登場する。パリで米側との交渉を続けていた吉野文六アメリカ局長が本省に宛てた公電(71年6月9日付)は、エリクソン部長より6500万ドルを確認する概要書所にイニシャル署名が求められた、と伝える。返還協定調印日の6月17日までの間に、東京でスナイダー米公使と外務省ないし大蔵省の代表との間で、上記の二つの密約を記す文書が作成されたと推測される。
今回の公開では、文書が新たなフォルダーに移し替えられたため、所管の担当課での保管の様子がうかがえ知れないようになった。しかも、フォルダーのタイトルを示す表紙や目次が公開されなくなったため、どのような文書が存在していたのか推測をも断ち切った。公開する側の都合のみが優先され、過去の教訓から学び、今後の日本外交を豊かにする気概が抜け落ちた公開となった。(琉球新報12/23、「識者評論」より)
『運命の人』の舞台は、約40年前の事件を基にした物語。
理想と欲望がせめぎあう新聞業界において、映画のヒーローのようなエース新聞記者が、理想と信念で“沖縄返還"の裏側に潜む国家権力の欺瞞を暴く。しかしそのヒーローに待っていたものとは…。そして、“沖縄返還密約事件"と呼ばれる事件の真相とは--
日曜劇場『運命の人』が放送となる2012年は沖縄返還40周年を迎える年でもある。
作者・山崎豊子の思いでもある、沖縄で巻き起こったことに対する疑問と怒り、そしてそれが今なお現実のものとして大きな傷跡を残していることへの怒りと悲しみをドラマでも描いていく。
多くの日本人が愛してやまない美しい観光地・沖縄--。しかし、だからこそ、その地で行われた悲劇や今も人々が抱え続けている苦しみを、同じ日本人として深く知るためにも、今こそ伝えるべき作品なのではないだろうか。
現代の日本人の心を捉え、深い感動と何よりも“希望"を与えるべく、ドラマ『運命の人』がいよいよ始動する。
<原作・山崎豊子コメント>
「運命の人」執筆の動機は、第四の権力・マスコミ、特に新聞の実態に迫りたかったからである。社会の木鐸として、その存在意義は大きいが、誰からも批判されないゆえに、時に傲慢でさえある新聞。だが、調べていくうちにその新聞社が抱え込んだあらゆる矛盾が、“沖縄返還密約事件"に集約されていることに気付いた。
戦中戦後を通して、同じ日本国民でありながら、沖縄の人々がどれほど本土の犠牲になってきたか。未だに解決されない基地問題一つとっても、明白である。沖縄は過去から現在まで、日米関係に翻弄され続けてきた。
小説では、1971年当初、沖縄返還交渉を取材していた一人の敏腕政治部記者が、日米間の密約文書の存在を知り、記事にし始めた時、国家権力の逆鱗にふれてしまう。その政治部記者の不屈の精神と強い生き様を、新聞社と沖縄を絡めて描いた。
単行本刊行と同時に、多くの媒体から映像化の申し込みがあったが、どこまで正面から映像化して戴けるか不安で、ご辞退を重ねて来た。そんな中、TBS側が一歩も引かず、お任せする決心をした。
主人公役の新聞記者には、是非、本木雅弘さんをとお願いした。強靭さと悲劇性を併せ演じられる俳優さんだと、お見受けしたからだ。今は、初めての映像化作品となる「運命の人」が、視聴者の皆さんに共感され、感動して戴けるドラマになることを、切に願っている。(TBS Webサイトより)