2014年05月15日 23:43
日本復帰42年 民意分断の修復を「捨て石」から平和の要石へ
沖縄の「日本復帰」から42年の節目を迎えた。基地の問題や生活格差など課題が山積しており、とても祝う気分にはなれない。
こうした中で、安倍晋三首相はきょう記者会見し、憲法解釈変更による集団的自衛権行使容認に向けた見解を表明する。戦後日本の平和主義の大転換を図る決意を示す日が、沖縄の復帰の日と重なるのは非常に皮肉だ。
なぜなら、沖縄の日本復帰は屈辱的な米軍統治を脱し、国民主権、平和主義、基本的人権尊重を原則とする日本国憲法の下に参加することを意味していたからだ。
憲法の輝き
憲法の輝きはまさに沖縄の「道(しる)標(べ)」であった。しかし今、その道標は安倍政権によって葬られ、墓標が立とうとしている。
再び戦争への道を開きかねない集団的自衛権行使容認の見解表明は、沖縄が再び戦場にならないかという恐怖を呼び起こす。
本紙で連載中の「道標求めて 琉米条約160年 主権を問う」は、琉球王国末期にフランスが琉球を占領するという情報を得た水戸藩の徳川斉昭が、江戸幕府に書簡を送り対応を促す場面を紹介している(5月6日付)。
「琉球がフランスに奪われても、日本から援軍を送って決戦することで」「小さな琉球を占領するのにさえこれだけの血を流さなければならないのだから、日本を占領するには何十倍もの犠牲を覚悟しなければならないと考え、日本攻撃を当分差し控えるだろう」
フランスの軍事的脅威から日本を守るために琉球を「捨て石」にする作戦。こうした発想や考え方は、沖縄戦を経て今日まで、過重な基地を沖縄に押し付けることで日本を守ろうという政治、国民意識に通底しているのではないか。
復帰の日の「5・15」に重なった安倍首相の決意表明は「沖縄の事情に構わず何でもやりますよ」という意思表示にも見える。
実際、米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向けた海底ボーリング調査で、安倍政権は反対派住民らの抗議活動を排除するためブイや柵を設置して制限し、進入者は刑事特別法を適用して逮捕する方針という。
政権与党に「捨て石」の発想がなければ、およそあり得ない露骨で強引なやり方だ。
政府の強権姿勢は沖縄社会に亀裂と分断を生んでいる。普天間問題では「県外移設」のオール沖縄の結束が崩れ、自民党県連や仲井真弘多知事が事実上、辺野古移設容認に転じた。八重山教科書問題や与那国自衛隊配備など、沖縄を狙い撃ちするかのような分断の構図が次々と持ち込まれている。
「アメとムチ」の罪
国土面積の0・6%に、在日米軍専用施設の74%が集中する沖縄は「軍事植民地状態」とも指摘されている。民意を分断し植民地統治に協力する者を増長させることが、支配する側の常套(じょうとう)手段であることを忘れてはなるまい。
社会的一体感が損なわれた地域では政策効果が低いということを、米国の政治学者ロバート・パットナムはソーシャル・キャピタル(社会関係資本)に関する研究で証明した。それに照らせば、基地負担と引き替えの「アメとムチ」の復帰後の沖縄振興策体制が、いかに沖縄の社会を破壊したか。その罪は大きい。
政治的、経済的な亀裂や分断を乗り越えて政策効果を高めるためには、浸食された沖縄の社会関係資本を修復し、地域の課題は地域の責任で解決できる仕組み、言い換えれば自己決定権を確立するしかない。その際大切なのは「捨て石」ではなく、沖縄を平和の「要石」とすることだ。それが新たな道標となるべきだと確信する。
復帰後生まれの人口が県全体の5割を超え、「5・15」は遠い存在になっている。こうした中、次の世代にどのような沖縄を残すべきか。沖縄の歴史を振り返りながら現在の政治社会の動きを見つめ、真剣に考える機会にしたい。
(琉球新報5/15社説、記事原文はこちら)
[復帰42年] 歴史的岐路 選択誤るな
米軍普天間飛行場の名護市辺野古移設に向け、日を追うごとに防衛省の強硬姿勢が目立ってきた。まるで牙をむいて襲いかかっているかのようだ。
沖縄返還交渉に関わった元米国防次官補代理のモートン・ハルペリン氏は「民主主義の社会では、市民の要望と軍事的な必要性を考慮してバランスを取り、両者の欲求を満たす必要がある」と指摘しているが、安倍政権にはその感覚が全く感じられない。
稲嶺進名護市長は15日から訪米し、窮状を訴える。この倒錯した状況はいったい何なのか。
1994年、宝珠山昇・防衛施設庁長官(当時)は那覇で記者会見し、こう述べた。「沖縄は基地と共生、共存する方向に変化してほしい」
安倍晋三首相の外交・安保政策のブレーンである元駐タイ大使の岡崎久彦氏は雑誌の対談で発言している。「沖縄も日本という船の一員。エンジンルームに近く、うるさくて不公平だといっているが、それに対する十分な代償をもらえばいい」(「ボイス」96年2月号)。
自民党の額賀福志郎元財務相は防衛庁長官時代に「従来は沖縄の意向を確認し、それを反映した施策を推進したが、この手法はとらない」と、防衛庁幹部に述べたという。
事態は3人の発言通りに進んでいると言っていい。
復帰の際、米国は施政権を返還する代償として「基地の自由使用」という果実を手に入れた。今、進行しつつあるのは、普天間の県内移設を前提にした米軍基地の拠点集約化と日米の軍事一体化である。
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県は、環境保全指針で辺野古沿岸域を「自然環境の厳正な保護を図る区域」であるランク1に評価している。
生物多様性基本法に基づき2013年に策定した「生物多様性おきなわ戦略」で、県は北部圏域の将来像に「ジュゴンとその生息環境が保全され、ジュゴンの泳ぐ姿が見られる」と盛り込んだ。
だが、仲井真弘多知事が埋め立てを承認したことで基地建設が優先されれば、環境保全政策との整合性は取れるはずもない。
昨年8月、宜野座村のキャンプ・ハンセンに米軍のHH60救難ヘリが墜落した事故では、県や村の立ち入りが認められたのは事故から7カ月後だった。沖縄は安保・地位協定が優先され、憲法にうたわれた地方自治も住民の平和的生存権も大きな制約を受けている。これが復帰42年を迎えた沖縄の現実だ。
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安倍首相は15日、自身が設置した有識者懇談会から集団的自衛権の行使容認を盛り込んだ報告書を受け、政府の見解を表明する予定である。
憲法解釈の変更による集団的自衛権の行使容認は日本の安保政策の一大転換となり、東アジアに一層の緊張をもたらす恐れがある。
沖縄を再び戦場にしてはならない。中国と再び戦火を交えてはならない。これがすべてに優先する課題である。
辺野古移設計画をいったん凍結し、日中の関係改善に向けた取り組みと移設計画の見直しを同時に進めるべきだ。
(沖縄タイムス5/15、記事原文はこちら)