弱者の視点 忘れるな(伊波敏男氏)

ミチさん

2013年04月28日 23:09

 
(沖縄タイムス4/24)



伊波さんについてはこれまでにも何度か紹介したことがありました

2011.04.03 おススメTV :テレメンタリー2011 「伊波敏男の生き方」
2010.10.23 涙が出るぐらい すばらしい本です
2010.10.22 うれしい便りが長野から届きました



その伊波さんから新刊を出します、というお便りが昨日届きました。
全国、一斉発売日は沖縄の本土復帰41年目の5月15日だそうです。







前書きなど

いま、沖縄と沖縄人(うちなーんちゅ)の尊厳を、
「小さき者」の声を伝えながら、静かに問い返す。
この本の時代背景は、「琉球処分」(1879)から今日現在までである。
非情な歴史に翻弄され続けた、ある琉球士族の末裔たちが
混乱の渦の中で、どのように生きて来たかを描くことで、
あるいは「いまの沖縄」に結びつく姿と沖縄の人びとの心が、
浮き彫りになるのではないかと思い定めて書き始めた。
父祖たちの過去を起点として現在を確かめ、
希望の未来を見出すために。(著者の言葉)


著者プロフィール

伊波敏男…いは・としお
1943(昭和18)年、沖縄県生まれ。
1957(昭和32)年、ハンセン病療養施設「沖縄愛楽園」入る。
1960(昭和35)年、鹿児島県の国立療養所「星塚敬愛園」入る。
1961(昭和36)年、岡山県の「県立邑久高等学校新良田教室」に入学。
その後、1967(昭和42)年、東京の中央労働学院で学び、
1969(昭和44)年、社会福祉法人東京コロニーに入所。
1993(平成5)年より約3年間、東京コロニーおよび社団法人ゼンコロ常務理事を務める。
1997(平成9)年、自らの半生の記『花に逢はん』(NHK出版)を上梓、
同年12月、第18回沖縄タイムス出版文化賞を受賞。
ついで、『夏椿、そして』(NHK出版)を著し、ハンセン病文学を問い続ける。
2004(平成16)年より、信州沖縄塾を主宰し、塾長となる。
以降、沖縄の近現代史を学ぶ特別講座を開講している。
著書『ゆうなの花の季と』(人文書館。2007年5月)
『ハンセン病を生きて―きみたちに伝えたいこと』(岩波ジュニア新書。2007年8月)
『花に逢はん[改訂新版]』(人文書館。2007年9月)
作家。人権教育研究家。長野大学客員教授。
2007年11月、伊波基金日本委員会を創設。
上記内容は本書刊行時のものです。


ぜひ 書店で手に取って 納得してお求めいただけたらと思います


沖縄タイムスの連載「『4・28』の視座」のほかの方の寄稿はこちらで読めます
http://michisan.ti-da.net/e4701071.html


5/11追記
今朝の沖縄タイムス1面コラム「大弦小弦」に伊波敏男さんが紹介されていたので転載します
 長野県で沖縄の歴史や基地問題を学ぶ信州沖縄塾塾長、伊波敏男さん(70)は「連帯という言葉は使わないように」と塾生と申し合わせている。「連帯という言葉には上からの目線がある。問題の当事者になっていない」と考えるからだ

▼2004年8月に立ち上げた信州沖縄塾は「沖縄の現状と歴史、文化を学ぶ」「学んだことを糧にして、信州とこの国を検証する」「それぞれの立場で行動する」の三つの目標を掲げた

▼沖縄戦戦跡や米軍基地をめぐる学習会や名護市辺野古への新基地建設反対意見広告を地元紙に出すなどの活動に取り組む。「自分の足元で、できることをやり続けないと、この国は変わらない」

▼5・15平和行進の経験がある京都市の20代男性を以前に取材し、「警備している若い機動隊員に『観光客は帰れ』と言われ、ショックだった」という話を聞いた。「たまに沖縄に来て、基地問題を訴えては帰る自分は、観光客と変わらないと気付いた」という

▼男性は続けた。「沖縄戦の犠牲や広大な基地を押し付けたのは日本の問題。自分もその一員。問題の現場は日々暮らす場所にある」

▼今年で36回を迎える平和行進。行進の終わりがゴールではない。それは沖縄を歩き、見て、考えたことをきっかけに行動するスタートでしかないはずだ。(与那原良彦、沖縄タイムス5/11「大弦小弦」、記事原文はこちら



6/16追記

「島惑ひ」の書評です
 
(琉球新報6/16、記事原文はこちら



6/30追記

 
(沖縄タイムス6/29)



 
(沖縄タイムス6/27)




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