第2のコザ騒動が起こってもおかしくない
本土復帰を前にした激動期の1970年12月20日未明にコザ市(現沖縄市)で発生した「コザ騒動」から20日で40年を迎える。
さまざまな矛盾をはらむ「基地の街」の民衆が、米軍への怒りを爆発させ米軍車両に火を放った。
今も広大な米軍基地と隣り合わせの生活は続き、米軍人による事件・事故など基地から派生する問題が絶えない。
当時の状況と一番違うのは何か?
それは沖縄と日本政府との距離だ。
沖縄がどんな目に遭おうと、施政権のなかった当時の日本政府はどうすることもできなかった。
でも現在はちがう ちがうはずだ ちがわないと困る。
なのに今も日本政府は沖縄を助けてはくれない。
どうして?
政府が当てにならないなら、日本の市民はどうだろう?
国が国なら人も人ということか
先週から琉球新報も沖縄タイムスも、当時の検証記事を連載している。
その中から12/18付琉球新報と12/20付沖縄タイムスの連載記事を紹介しよう。
(琉球新報12/18)
(沖縄タイムス12/20)
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