2010年08月22日

興南 春夏連覇(沖縄タイムス版)

興南 春夏連覇(沖縄タイムス版) 
(沖縄タイムス8/22、記事全文はコチラ



興南 春夏連覇(沖縄タイムス版) 
(沖縄タイムス8/22)



興南 春夏連覇(沖縄タイムス版)
 (沖縄タイムス)


        
[興南 春夏連覇] 文句なしの力強さ 新時代の幕開け告げる


 もう「すごい」としかいいようがない。

 第92回全国高校野球選手権大会決勝は、県代表の興南が東海大相模(神奈川)を13―1で圧倒し、県勢としては初めて夏の甲子園で優勝した。同時に、史上6校目の春夏連覇を成し遂げた。

 米軍統治下の首里の初出場から52年。悲願だった深紅の大優勝旗が海を渡る。

 沖縄勢は春の甲子園では1999年、2008年に沖縄尚学、10年に興南と3回優勝している。春夏連覇で、名実ともに高校野球の頂点を極めたことになる。

 本土チームとの実力の差に愕然(がくぜん)とし、気後れしていた昔を知る世代にとっては、ただただ脱帽するだけだ。

 大会屈指の左腕島袋洋奨投手と、上下切れ目なくどこからでも得点できる打線。大きな期待に、揺るがぬ自信で応える興南に、新しい時代の沖縄の若者たちのたくましさを見る思いがする。かつての沖縄チームのような、ここぞ、というときのひ弱さはみじんも感じられない。

 興南の力強さを象徴する試合として準決勝報徳学園(兵庫)、準々決勝聖光学院(福島)戦を挙げたい。5点、3点を先制された試合だった。

 緊張感で押しつぶされそうな場面で重圧を重圧とせず、力を発揮していった。ピンチに立たされても平静さを失わない。攻守にミスは付きものだが、すぐ修正し次のプレーに生かしていく。

 島袋投手は序盤に制球が定まらなくても立て直していく修正力がずばぬけている。ヒットを打たれても要所をおさえ大きく崩れることはない。後半になっても力のこもったストレートで攻める強靱(きょうじん)なスタミナを持つ。打撃はとにかく積極的だ。狙い球を絞らず来た球を打つ、を実践した。投攻守バランスの取れた絶妙なチームに仕上がっている。

 それに加えて対戦相手らが口をそろえるのが強い精神力である。我喜屋優監督の言葉通り、選手らは精神的に自らをコントロールできるように成長しているのである。

 自信には裏打ちがある。監督の指導である。日常生活で五感を研ぎ澄ます朝の散歩と小さな気づき。体づくりに重点を置いたウオーミングアップ中心の練習。さまざまな打ち方を想定した1日1000本のノルマ。精神的にも、技術的にも鍛え抜かれた。

 就任からわずか3年余り。「九回が終わっても人生のスコアボードはずっと続く」。社会で通用するような人材を育てる指導である。興南を根底から変えた。

 1968年に4強進出した「興南旋風」の主将で4番打者。その後、社会人野球で優勝し、監督として豊富な経験を積んだ。自然環境が厳しい北海道でいかに効果的練習ができるか、「雪上ノック」を考え出した。

 興南に着任当時、寮生活の選手らは「寝ない、食べない、起きられない、整理整頓できない、しつけがまるで駄目」の無い無い尽くしだったという。起きることから教え、朝の散歩、そして何を感じたか1分間スピーチをさせた。

 雨天のときも雨がっぱ、雨靴を履いて練習する。甲子園の暑さ対策にもなった。環境に言い訳せず、知恵を絞る。「逆境をプラスに。最後は宝物になる」との考えからだ。

 県高野連の地道な取り組みも忘れてはならない。県野球部対抗競技大会はユニークで1500メートル走や立ち三段跳び、塁間継投など8競技。基礎体力増強と技術向上など全体の底上げにつながっている。

 全国の強豪チームを招いた招待試合や逆に本土に出向く遠征試合も増えた。これらの根っこの上に興南の春夏連覇が花開いたのである。

 復帰後、名将栽弘義監督の下で豊見城が活躍し、沖縄水産は90年、91年と2年連続で準優勝した。頂点まで後一歩というところまで来ていた。

 春夏連覇の偉業は、日本の高校野球史に末永く輝き続けることだろう。選手諸君、ほんとうにおめでとう。君たちは沖縄の誇りだ。 (沖縄タイムス8/22社説



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